La Domo de mia scivolo

:: 2008-2009年度のベルギーの滞在記 ::

 

11月前半

2008年11月1日(土) :AOL, La Domo de Mia Scivolo, サイトの引っ越し

先月の末をもってAOLを強制的に追い出された。自分のサイト"La Domo de Mia Scivolo"の話。AOLはもう10年ほど契約し続けてる。その間にメインのISPを変更しても、それでもAOLとの契約は続けてきた。それが。9月末ぐらいに「もう一ヶ月後には閉鎖します、ファイル等はそれまでに自己責任で」ってメールが来て、昨日末で強制終了。ちょっとひどい…。

今日からしっかり見れなくなっている。

 

How to Download Your Hometown Files
Posted on Sep 3rd 2008 12:00AM by Kelly Wilson
Dear AOL Hometown Users,
We're sorry to inform you that on Oct. 31, 2008, AOLR Hometown has been shut down permanently. We sincerely apologize for any inconvenience this may cause.
-- The AOL Hometown Team

 

ということで、このうららか(でもない)な土曜日の午前中を使ってサイトの引っ越し作業。htmlファイル自体はローカルに残っているので。ただリンクのちょっとした微調整なんかが大変だったりする。とりあえず大枠だけ新しいドメインへお引っ越し(http://naoto19.yukimizake.net/index.html)。

10年ほど前のものもあるから体裁自体が読みにくいものだったり、中身がとっても「幼い」ものだったりもするのは否めないけど、とりあえずはそのまま維持する。どれくらいそんなものを維持することに意味があるのかは分からないけど、とりあえず「続いってる」ってのは大事だとも。「発展的解消」はない。

予想はしてたけど「サイト引っ越しました。新しいアドレスは~」みたいな通知文すらも置かせてくれない非情さ(これは商業用サイトをAOLにおいてた人・小企業の人には致命的な処置なんだろうな)。これで数多あるネットの世界で完全に浮いてしまったわけだ。まぁこれからは「自己満足的防備録」としての第二の人生を。

にしてもひどいな…。

2008年11月2日(日) :日曜日, コロッケ, 二日酔い, Nouvelle Histoire de La Belgique, ベルギー史

ひっどいふつかよい。けどおなかはすく。にちようび。ちょっとあるけばあいてるおみせもあるにはあるけれども。う~ん。れいとうこのなかにあるじゃがいものころっけでもあげることにする。きょうはちゃんとまなぶ、まなぶ。

 

じゃがいも

 

先日買った本:『新しいベルギー史(Nouvelle Histoire de La Belgique)』の第一巻(1830年-1905年)。中は3つのパートから成り立っていてる。

     - Els Witte, 'La construction de la Belgique (1828-1847)'
     - Eliane Guibin et Jean-Pierre Nandrin, 'La Belgique libérale et bourgeoise (1846-1878)'
     - Gita Deneckere, 'Les Turbulences de la Belle Époque (1878-1905)'

それで面白いと思ったのは、それぞれの論文がまるで一つの本のような形態で付置されていること。例えば、それぞれが各自の表紙をもち、各自の索引(Index)をもっている。ページ数もそれぞれの部分で個別に振られているし。さらにはそれぞれが各自のISBNをもっている。本全体としてのISBNは2-8048-0066-0だけど、さらにそれぞれが2-8048-0063-5、2-8048-0064-4、2-8048-0065-2という個別のISBNをもってる。

面白い。これ最近の流れかな?ということはそれぞれを個別の著作として扱っていいんだろうか?
   ・Els Witte (2005) 'La construction de la Belgique (1828-1847)', in Michel Dumoulin et al. (dir.) Nouvelle Histoire de La Belgique, Vol. 1: 1830-1905, Editions Complex, pp. 1-216. とするのか、
   ・Els Witte (2005) La construction de la Belgique (1828-1847), Editions Complex. とするのか。

 

 «  Nouvelle Histoire de La Belgique  »

 

2008年11月3日(月) :徹夜

リエージュでの生活もすでに一か月を経過。はじめて徹夜をした。やらなあかんのにうじうじしてたものが、いざやりはじめるとなかなかはまってしまって、気付けば朝。朝9時からの授業にはでたかったのでそのまま起きていることにした。あそこで寝ると絶対に起きられない、絶対の自信がある。

只今昼下がり。はぁ眠い。

2008年11月4日(火) :「独立」, ワロニー語, 正書法, 「ベルギー流の妥協」

「ベルギー史」の授業において、本日とうとうベルギーが「独立」を果たしました。めでたいめでたい。先生も授業の初めに緊張気味に(?) « grand jour » と言ってました。

 

ワロニー語の授業。大学が6時に終わって、ワロニー語の授業が7時から。場所はムーズ川を歩いて越えて10分くらいのところだから、ちょっと時間があまる。ということで教室の近くのカフェでビアー時間潰し。予習をしつつビアーを飲んでたら、またはビアーを飲みながら予習をしてたら、ちょっと時間が過ぎてしまった。ちょっと。

ちょっと遅れてクラスに入ると、前回とは違って多くの受講生が。間違え…た? まぁなんのことはなく受講生が増えてたわけで、なかにはお母さんと一緒に来た小学生くらいの女の子も。地域語の継承ということを考えるととってもよいことです。先生もフランス語がまだしっかりしてないだろうからということでとっても優しく丁寧に説明する。いや~実は、僕の方が彼女よりもフランス語幼いと思うんですよね、おそらく。

前回に引き続いて正書法と音声についての説明。Fellerの正書法の大雑把な印象として、(フランス語のそれと比較して)圧倒的に音声的ということ。非常に合理的(後発+人為的「発明」であることを考慮すればそりゃそう、という話なんだけど)。

    ・基本的に一つの発音には一つの表記:例えば鼻母音 inin, ain, aim, ein, ym, (y)en
    ・無音のhは書かない⇔書けば常に[h]として発音:omehomme, îrhier, eûreheure
    ・無駄な子音の繰り返しはしない:feumefemme,
    ・子音が繰り返される場合は基本的にそれぞれ発音される:abann'ner (※ aban-n-ner として発音)

などなど。

 

とは言え、やっぱり「例外」はあるわけ。基本的には発音されないものは書かれないのが原則なので、フランス語で山ほどある「無音の子音」は原則ないことになる。けど「例外」はある(on long blanc, dès lêds tchins, on mètchant brigand)。大きな要因は「フランス語からのアナロジー」なんだけど、じゃななんでこんな中途半端なことをしたのか。(語源を意識されるとかもあるんだろうけど)、先生の気持ちの良い説明:「ベルギー流の妥協(compromis à la belge)」。なるほど、この国特有の「折衷主義」か…。

2008年11月5日(水) :誕生日

さりげなく今年もまた歳を一つ重ねてしまいました。8年前に同じようにベルギーで誕生日を迎えた際、私は「もう本当にいい歳になってきました。もういい加減社会に出て税金を払わないといけないのかなーという歳になってきています。うーん、非国民」と書きました(「見聞飲記」)。そして今、状況はさほど好転しているわけではなありません! う~ん。

 

Malheuresement le temps passe très vite...

 

日本では日付が変わった頃から、いつものように近隣在の友とカフェでそして家で、飲み。かんかんとのんでさらっと泥酔。いつも通り。

2008年11月6日(木) :ワロニー・フランス連合(RWF), 「団結は力なり」, 家賃

学校に出かけようと家を出ようとした時、大家のおばちゃんと出くわした。僕への要件は二つ。

 

まず一つ。荷物が届いていると。その荷物が「ワロニー・フランス連合(Rassemblement Wallonie France: RWF)」のシール100枚(↓)。これを6EURも出して通販しました。ちょっと勢いで買ったけど100枚もね…。ということで、これがお土産になります。封筒には差出人の名前はなし。そんな団体に関係しているってことがばれたくない人たちへの気遣いかな、と思ったり。繰り返すけど、べつに主張に彼らの賛成しているわけではないので。ただ面白いから。

 

 «  C'est avec la France que l'union fait la force.  »

 

書かれているのは、

     C'est avec la France que l'union fait la force.
     「団結して力となるのはフランスとの団結」

もちろん憲法に規定されているベルギー王国の国家の銘「団結は力なり(L'union fait la force)」(独立当時の憲法の第一二五条、現行憲法の第一九三条)をもじっているわけで、結局フランデレンと団結したところで、まったく力とはなりませんよ、と。フランスの三色旗の中にワロニーのイメージである「雄鶏(coq hardi)」がほどこされたなんとも秀逸なデザイン。

 

もう一件。11月分の家賃が払い込まれてませんよと。いや、払ったし…。月初めにネットで大家さんの口座に振り込みました。わざわざ息子が帰ってきてから、再び訪ねて確認してもらう羽目に。二度手間。なんのためのOnline Bankingか…。ばたばたした。

2008年11月7日(金) :滞在許可, 窓口の人間, 事務手続き, Jupiler « TAURO »

新発売:新しいJupiler。その名も « TAURO » 。…スペイン語?ラテン語?? なんしか「雄牛」のようにガンときますよってことかと。アルコール度数8.3%。下面発酵のビールとしてはすごい値なのでは!?(うん?下面発酵…???)6本で5.49EUR、あまりトラピストと変わらない値段設定。じゃ…トラピストいきたい。いろいろポスターとかが貼って宣伝してたけど、ずっと « TURBO » だと思ってた。思い込んでた…。

 

Jupiler  «  TAURO  »

 

悪くない。ビアーを激しく愛すけど、味は分からず、あまりこだわりもない男の感想。

 

久々に役所に行って事務手続き的作業。(仮)ではなく「本物の」滞在許可を得るために、①写真、②大学登録の証明、③パスポート、④14EURを持参。もうずいぶん前に、来いという案内の葉書が来てたんだけど、知らんぷり。どうにもアソコは「待つ」という印象が強いので。そして大体においてちょっとイラつく対応が間違いなく待っているはずなので。10分くらいの待ちで行けたんだけど、対応は案の定。丁寧過ぎる過剰な対応は一切希望しませんが、通常の人対人の普通の対応は期待します。残念だな~人って。「ベルギー人はみんな優しい、役所と大学の窓口の奴ら以外は」。

案内の葉書には「une photo」としっかり書かれていたけど、窓口では2枚要求された。そんなもん。で、手続きはまだ終わらず、2,3週間後に案内が来てもう一度。

2008年11月8日(土) :愛猫「じゅ」, 科学の進歩, 留学

日本を発って1月半。ひさびさに実家の状況が手に入った。妹が帰省しているようで、そこかが情報源。両親、愛猫「じゅ」ともに変わりなくなようで、なにより。来年は丑年(?)ということで牛にされているよう、ほっこりした気持ちになった。

 

じゅ

 

妹は携帯からメールしてきてるわけで、それでふと思った。科学技術の進歩。2008年今現在:

   @ 電子メールで相手に即座にメッセージが送れる/受け取れる♪
   @ 国際ローミングで自分の携帯(Softbank)がそのまま使用できる(スカイメールを見るだけなら無料)♪
   @ Skypeで無料でテレビ電話ができる♪
   @ YouTubePANDORA.TVで日本のテレビ番組が見れる♪
   @ 分からないことがあればネット検索(もちろんブロードバンド、大学構内は無線完備)♪

大学のパソコン設備があまりにも寂しく、わざわざ電話回線を借りてネット接続、メールチェック、わざわざ携帯を買ってそこからネットに接続して日記をUP、わざわざクレジットカードを使って日本へ電話、留学中の日本での出来事なんて???、ってな状況だったのはわずか8年前!!!!

ありえないねぇ。この技術の進歩は「留学」の性質を大きく変えたに違いない。いいのかわるのかわからない、けど。ただ言えるのは、相当な覚悟がないと、どっぷり「疑似日本的環境」に溺れてしまう危うさはある。当然私は、そのような相当な覚悟なぞもち得てない。

 

あ~ぁ、猫とごろごろごろごろしながら暮らしたい。

以上。

2008年11月9日(日) :フランス語共同体, 「方言」, 内発的地域語

【フランス語共同体の「方言」政策】

ベルギーは「言語戦争」という扇情的な用語とともに語られ、言語状況の特殊性故にその言語政策には多くの研究で言及されている。そして実際に、19世紀の後半以降これまで多くの「言語法」が制定されてきた。しかしそれらの法律の対象は常に「フランス語」と「オランダ語/フランデレン語」(時に「ドイツ語」も)という公用語でしかなかった。 当然独立時は、一般の人々はこれらの公用語を話していなかった。それらは「方言」と呼ばれ、少なくとも20世紀の初頭までそれを母語とする国民が存在したにもかかわらず、政策上は一斉考慮されることはなかった。すなわち、ベルギーの言語政策は大衆のことばのためにあったのではなく、反対に彼らの言語シフトを推し進める「圧力」として機能した。

フランス語対オランダ語の対立を軸に展開された言語政策のある意味では最終的な段階として、現在連邦の構成体の一つとなっている「(文化)共同体」が創設された。そしてそこに言語使用に関する権限が排他的に付与された。皮肉なことに、共同体の設立により自らの領域内においては相手側の言語(フランデレン共同体にとってのフランス語、とその逆)に対して意識する必要がなくなって以降、それまで無視され続けてきた「方言」に関心が向かうことになる。ただし、これはフランス語共同体のみの話であり、フランデレン共同体は「方言」に対してあたかも相反するような(無)政策を繰り返している。

 

そんなフランス語共同体の「方言」の在り方を規定する二つのデクレ(=連邦レベルでの「法律」に相当)。

 ・1983年1月24日:「初等・中等教育におけるわロニーの方言の利用に関するデクレ」(⇒原文
      Décret relatif au recours à un dialecte de Wallonie dans l'enseignement primaire et secondaire

 ・1990年12月24日:「内発的地域語に関するデクレ」(⇒原文
      Décret relatif aux langues régionales endogènes

 

【1983年のデクレ】

第一条 初等教育及び中等教育において、教員が教育のために、とりわけフランス語の学習のために有益であると認める場合には、ワロニー地方の方言の一つのを利用することが許される。
Article 1er. Dans l'enseignement primaire et secondaire le recours à un des dialectes de Wallonie est autorisé chaque fois que les enseignants pourront tirer profit pour leur enseignement, notamment pour l'étude de la langue française.

 

1982年の9月21日Robert URBAINによって法案が提出される(このことをもって、このデクレはしばしば「ユルバン法(Décret Urbain)」とも呼ばれる)。「方言」の価値を認めようとするものではあったが、彼が理由書の中で述べているように、フランス語共同体の言語はあくまで「申し分のない(irreprochable)」のフランス語であり、また授業で「方言」を用いるにしても、それは「わロニーの方言とフランス語を比較し、後者から「ワロニー的な要素」を取り除く(... avec ke siycu cibstabt de cinoarer des dialectes de la Wallonie et le français afin d'éliminer les « wallonismes » de ce dernier ...)」ことが第一義とされた。

その後、委員会での議論・報告を経て、12月15日には一般審議、そして翌年の1983年1月12日に議会で採択された。出席議員69名中、賛成55名、棄権が14名だった(Moniteur belge, 1983年3月15日, n°51, pp. 3391.)。

このデクレは、独立以来一切言語政策の対象とはなってこなかった公用語以外のことば(ここでは「方言」と言われている)を政策の議論の俎上に載せたことで大きな価値をもつ。しかしそこで規定されていることは、あくまで「共同体の公用語であるフランス語のより良い学習」であり、さらには具体的な措置がその後講じられることはなかった(当然罰則規定もない)。このようなことから、当デクレはいわば「死文と化している」とも言われる(Francard, M. (2000) Langues d'oïl en Wallonie, p. 38)。またその言語法としての性質から、フランスの「デクソンヌ法(loi Deixonne)」(1951年)との類似性も指摘される。

 

【1990年のデクレ】

第一条 ベルギーのフランス語共同体は自らの領域内において、共同体の公用語であるフランス語を使用すると同時に、内発的地域語を使用する者の言語的および文化的な特異性を認める。
Article 1er. La Communauté française de Belgique reconnaît en son sein la spécificité linguistique et culturelle de ceux qui usent à la fois d'une langue régionale endogène et du français, langue officielle de la Communauté.
第二条 内発的地域語は共同体の文化的遺産の一部をなす。それ故に、共同体はそれを保護し、またその学術研究や、コミュニケーションの道具および表現を行う手段としての使用を促進する義務を負う。
Article 2. Les langues régionales endogènes font partie du patrimoine culturel de la Communauté; cette dernière a donc le devoir de les préserver, d'en favoriser l'étude scientifique et l'usage, soit comme outil de communication, soit comme moyen d'expression.

 

一方で1990年のデクレは、Valmy FEAUXにより法案が作成された。委員会の報告を経て、12月14日には一般審議と投票が行われる(Moniteur belge, 1991年2月1日, n°23, pp. 2052.)。一切のデクレの施行に係る具体的措置が講じられなかった先のデクレに対して、今回は1991年の3月19日のアレテ(=政令)により「内発的地域語評議会」が作られた。この組織はフランス語共同体に対して政策提言を行う諮問委員会であり、内発的地域語の「保護と促進(protection et promotion)」をその任務とする。その具体的な活動内容は、以下のようなものである。

 

   ・ 内発的地域語に関する書籍の出版に対する支援(文学作品、言語地図、学術雑誌など)
   ・ボランティア団体や篤志家に対する学術的支援と出版支援
   ・少数言語や危機言語の保護に携わるその他の機関との協同
   ・ベルギー国家による欧州地域語少数語憲章の署名・批准を求める活動

 

1990年のデクレの大きな特徴は以下の二つである。まず初めは、それまで「方言」と呼ばれて/呼んできたことばに新たに「内発的地域語(langue régionale endogène)」という名称を与えたことである。そしてそのようなことばは、「景勝地や建造物と同様に、フランス語共同体の文化遺産(patrimoine culturel)の一部をなす」(理由書)ものとして公的な承認が与えられた。

もう一つの重要な点は、これらのことばがフランス語(共同体の唯一の公用語)とは「別の言語」であるとしたことにある。そもそも「方言」という用語は複数の意味をもつものであるが、「方言」と呼ばれることによって(時には「フランス語の方言」とされることで)あたかもそれらが「フランス語の一部」であるとされることもあった。この点から、別の言語としたことには大きな意味がある。またこの点で、フランデレン共同体における「方言」観とは大きな違いが生じることになった。フランデレンにおいては、「方言」(フランデレン語もしばしばそう称される)はあくまでも「オランダ語の一部」である。

 

それでは、どのようなことばが「内発的地域語」とされ公的な承認を受けたのか?実際にはデクレの中にどのことばを内発的地域語とするかの規定は存在しない。しかしながら、内発的地域語評議会が提示している下図(評議会のサイトより、クリックでちょっとだけ拡大)から、それを知ることができる。すなわち、(狭義の)ワロニー語やピカルディー語、ロレーヌ語などのロマンス語系の言語に加え、ブラバンソン語などのゲルマン語系の言語も「内発的地域語」としている。そもそも共同体に与えられた権限は「自らの領域内」での言語使用であるが、そのようなゲルマン語系の言語もフランス語共同体の領域内に(わずかではあるが)使用者が存在するということのよう。先のフランデレン共同体側との「方言」観の違いに話は戻るが、フランス語共同体がこのデクレにより「言語」だと承認したリンブルフ語は、フランデレンの側ではあくまでオランダ語の一部を構成する「方言」であるという見方である(参照:オランダ語言語同盟(Nederlandse Taalunie)のフランデレン政府への答申「リンブルフ語の承認について」)

 

ベルギーにおける内発的地域語

 

2008年11月10日(月) :連休, 今日という日, faire le pont, 隣人の誕生日

さりげなく土曜日から4連休中。週末は休みで、明日は第一次世界大戦の休戦記念日(armistice)で祝日。じゃ、今日という日は??? いまいち分からない。いくつか聞いたところ以下の2説。

  ① faire le pont の日
      faire le pont 休日に挟まれた日を休みにする(『ロワイヤル仏和中辞典』) 

  ② Toussaintの代休
      今年は11月1日が土曜日だったので

さて…。まぁどっちでもよい。月・火が主に学校活動の日なので週初めが休みになるとぐっっっとさみしくなる。

 

今日はなかなか集中力が持続した日で、19時過ぎにちょっとカフェに行って一杯。その後、我が友の部屋にてアルコ。そしてふらふらと帰宅。家について階段を上っていくと、ウルサイ…。いつになく。斜め向かいの部屋。何事?と思いながら、そしてちょっと苛立ちを感じながら、自分の部屋に入ろうとする。と、「今日はNicolasの誕生日やから来たら!」とJupilerをくれる。(^o^) おぉ、いいやん。この時点で結構酔ってたんだけど、またNicolasの部屋で飲み始める。「ベルギー名物(spécialité belge)」というチョコをかけたピザ(!)をもらい。なんか強いお酒も。

何人いんねんてぐらいの人がいて(こっちの部屋の方が自分の部屋よりも少し大きい)、さらには煙たいのでドアはあけっぱ。そりゃそりゃうるさい。しまいには大家さんから電話がかかってきて、怒られたよう。部屋を飛び出し、街へ向かう。バスに乗り。バスの中でもバカ騒ぎ。こっちはすでにボロボロ酔いだったの適当に帰宅。

 

隣人の誕生日    隣人の誕生日

 

2008年11月11日(火) :休戦記念日, 二日酔い

き゛も゛ち゛が゛わ゛る゛い゛。そ゛れ゛は゛そ゛れ゛は゛き゛も゛ち゛が゛わ゛る゛。ゆ゛う゛か゛た゛ち゛か゛く゛ま゛で゛く゛っ゛た゛り゛。

2008年11月12日(水) :UCL, 図書館, SNCB

ルーヴァン・カトリック大学(Universite catholique de Louvain: UCL)の図書館を使うためにLouvain-la-neuveへ。リエージュよりはるかに使いやすく、はるかに蔵書量が多い。一番大事なのは「開架の本」の量。同じフランス語共同体の大学に属する学生だから、無料で登録できるものと思い込んでいたけど、どうやら登録は有料らしい。とは言え、本を借りずにその場で参照(とコピー)だけならリエージュ大学の学生証でいけるということなので、今日は借りる予定ないのでとりあえず参照だけ。

  ・UCL(とその仲間大学)のOPAC:
       http://boreal.academielouvain.be/
  ・人文系総合図書館(BGSH: Bibliotheque Generale et de Sciences Humaines):
       http://bgsh.fltr.ucl.ac.be/default.htm

 

それで、Louvain-la-neuveへのリエージュからの行き方。わりと面倒なことに気づいた。

    ① Liège → (Leuven経由) → Bruxelles → Louvain-la-neuve:1時間45分くらい
    ② Liège → (Namur経由) → Ottignies → Louvain-la-neuve:1時間30分くらい
    ③ Liège → Leuven → Ottignies → Louvain-la-neuve:1時間45分くらい

今回は①だったわけだけど、②かな…。ちなみに以前フランデレン側のLeuvenからワロニー側のLouvain(Ottignies)の路線に乗ったことがあるけど(③の一部)、各駅停車で田園地帯を40分くらい変えて走る。のんびりとした路線。ふと思った、Leuvenまで電車で行って、そこから両ルーヴァン大学を結ぶバス(あったよね?)を使うのがもしかして一番賢いルートかも。

2008年11月13日(木) :昼夜逆転, 鶏

本日もまた就寝したのが朝の7時前。まわりの人たちが起き始めて、もしくは学校へ出かける頃に、いそいそと眠りにつく。この先週末あたりからこのリズムが定着してしまった。昨日は眠らずに朝から行動したけれども、帰ってきてからのちょっとお昼寝(夕寝)によってもとのパターンにくっきりと戻される。週の初め以外は朝の頭から授業とかはないので、やってはいけるし、夜中はそれはそれは静かで集中はできるんだけどれも、どうかな。

 

どうしても「肉」が食べたくなった、どうしても。「肉」とはいっても、こちらで購入する肉は「内臓」か「鶏」なので、今日は「鶏」。5.9EURでの丸焼き。avec マヨネーズ。これ食べて今日も夜を徹して頑張りましょう。

 

鶏

 

2008年11月14日(金) :公立図書館, 開架, 「方言」, 複数の意味, Que sais-je?

リエージュ州の公立図書館Bibliotheque ChirouxOPAC)に行く。じつは大学のごくごく近く。メディアテックも併設した施設で、登録料は4EUR。まだ「仮の」IDカードのみですぐに登録終了、すぐに借りれる(10冊まで30日間)。当初は「別に必要な本がないし、必要ねぇ」と思ってんだけど、考えが変わった。理由はもちろん大学の図書館の使い勝手の悪さ。日本から何も本をもってきてないけど、それは「基本書」は大学で簡単に参照できるはずとよんでいたから。そうでもない。まず何度も書いたけど、総合図書館には辞書類等しか開架がない(その他「ロマンス語」や「ゲルマン語」などのセクションごとの図書室はあるけど)。ごくごくごくごく「基本書」が書庫にあったりして・・・。これはつまり、論文書くのにちょっと原文を再確認したい際に、そのためにわざわざ紙に書いて頼んで、時によっては後日以降に取りに行かねばならないという大変うっとうしいことになる。開架が一番! 手にとって参照できる、実際に棚を見て連想的に関係する書籍と出会える。これが重要!

それで、今日どんな「基本書」が必要でたまらなかったのか。後者なんか「ク・セ・ジュ(Que sais-je?)」のくせに(?)書庫に保管されている!

 

   ・Klinkenberg, Jean-Marie (1994) Des langues romanes: introduction aux études de linguistique romane.
   ・Calvet, Louis-Jean (1996) Les politiques linguistiques, "Que sais-je?" 3075.
        など、など。

 

<i>Des langues romanes</i>    <i>Les politiques linguistiques</i>

 

Klinkenberg (1994): その題名が示すように「ロマンス語言語学」の入門書(画像は1999年の第二版)。何が僕にとって重要だったかと言えば、その最初の方で言語の変種について説明しているけど、「地理的多様性(diversification dans l'espace)」として「方言(dialectes)」を説明してる箇所(pp. 34-8)。(社会)言語学の入門書の冒頭部において「方言」が説明されることはままある。しかし、そこで言われることは「方言と言語を分ける基準は決して言語それ自体に内在するものではなく、社会・政治・文化的な基準である」といったようなことどまり。けど当書では、それだけにはとどまらず、「方言」という概念が有する複層的な意味を説明している点でなかなか面白い。そもそも同じ「方言」という用語を用いても、その指し示す対象は異なる、ということ。Klinkenbergは « dialecte » という用語に主に以下のような性質の異なる3つの意味があるとする。

 

   [方言1] アメリカ的意味の方言: ある言語のあらゆる地理的な多様性
   [方言2] ヨーロッパ的意味の方言: 言語の非常に古い段階に分化により派生したもの
   [方言3] 社会学的意味の方言: 標準語に従属するあらゆる言語変種

 

大きな特徴としては、[方言2]が「空間的-地理的」な概念であるのに対して、[方言1]は「地理的」なものを取捨したところに成り立っている。前者がより古い意味であり、後者は(アメリカ)構造主義が誕生して以来付け加えられた意味であるとする。ベルギーのフランス語圏という場にあてはめてみると、「ワロニー語」など従来「方言」と呼ばれてきたものが[方言2]であり、フランス語のベルギー的用法とされる「ベルジシスム」は[方言1]に該当する。すなわち両者はまったくの別物。この点に関しては、日本におけるベルギー研究(そんなものがあったとして!?)必携の書ともいえる、小川秀樹さんの『ベルギー:ヨーロッパが見える国 』(1994年)は大きな間違いを犯している(84頁)。

このような(区分の)視点は、「方言学」や変種という現象を好む「社会言語学」においても必要だと思うけれども、思った以上に(少なくとも日本においては)浸透していない。実際には、このような区分は、

     Martinet, André (1954) 'Dialect', Romance philology, 8(1), pp. 1-11.
     Coseriu, Eugenio (1980) ' "Historische sprache" und "Dialekt" ', in Joachim Göschel et al. (Hrsg.)
               Dialekt und Dialektologie, Steiner, pp. 106-22.
     Warnant, Léon (1973) 'Dialectes du français et français régionaux', Langue française', 18(1), pp. 100-25.
     Bal, Willy (1995) 'À propos des "langues régionales": Notice terminologique', Langues d'oïl
               transfrontalières, pp. 122-32.

などなどわりと多くの研究者によって定期的に指摘されてきてるし、その中には日本人も大好きな偉大な言語学者も同類の指摘を行っているんだけど、いまいち日本でうまく受容されていない。もちろん、
   ・あくまでヨーロッパ発の「視点」
   ・両者の区切りもまた「社会的」所産
といった問題もあるだろうけど、僕はわりと大事な視点だと思っています。

 

Calvet (1996): この本は日本でも白水社の「文庫クセジュ」で翻訳されていて(『言語政策とは何か』)、日本では物凄く有名な本だと思うんだけど、Calvetの著作としてはこちらではあまりお目にかからない。大学の図書館でも書庫だし、古本屋をいろいろ探してもこの本がまだ見つけたことがない。わりと原著が欲しいんだけど…。出版元のPUFでも在庫がないよう。著者自身が気に入ってないのか、あまり評判が良くないのか…。そんな本だけど、公立図書館の開架はにあった。

2008年11月15日(土) :月, 古本, Linguistic Accommodation in Belgium, 「オランダ語」

ものすごく月が明るい。こ、こわい…。

 

お月さま

 

昨日、待ちに待った本が届いた。

  BAETENS BEARDSMORE, Hugo and Roland WILLEMYNS (eds.) (1981) Linguistic Accommodation in Belgium.

これまでいくつか引用されているのに遭遇し、中身も面白そうだと関心をもっていたけど、どうにも手にすることができなかった本。とにかく図書館にない。日本の図書館にも、ベルギーの図書館にも。理由がわかった。両ブリュッセル自由大学(Vrije Universiteit Brussel / Université Libre de Bruxelles)の「言語サークル(linguistic circle)」が配布した「Pre-prints」とのこと("Brussels Preprints in Linguistics", no. 5.)。そりゃ手にいれ難い。

両先生の4つの論文からなっていて、それらはいずれも他の研究書や雑誌に投稿される(た)ものらしい。

   ・B:'Linguistic Accommodation in Belgium'
   ・W:'Interaction of Dialect and Standard Language: The Case of Netherlandic-Speaking Belgium'
   ・B:'Modèles de réalignement sociolinguistique dans les sociétés plurilingues'
   ・B:'The "Supreme-language" Hypothesis Applied to Brussels'

「Pre-prints」ということもあってなかなか「ゆるい」。ものすごく手書きで修正されていたりしてなんか臨場感がある。

 

<i>Linguistic Accommodation in Belgium</i>    <i>Linguistic Accommodation in Belgium</i>

 

オランダの古本屋で偶然発見して10EURで購入。当初10EUR安い!って思ったけど、この手作り感では相応な感じか。ただ、みれなかったものが確認できたということで後悔は全くなし。

 

さてWillemynsさんの論文のタイトルにある « Netherlandic » という用語について:
僕の持っている『新英和辞典』には載ってない。もちろん「オランダ語」を表すための用語だけれど、そもそもこの用語は、「オランダ語の « Nederlands » やフランス語の « néerlandais » に対応する英語の術語」として、オランダのオランダ語とフランデレンのオランダ語双方を包含する用語として用いられ始めたもののよう(Arthur Edward Curtis (1971) New Perspectives on the History of the Language Problem in Belgium, p. 4.)。

1971年に当時のネーデルラント文化大臣Frans Van Mechelenが国会の答弁で、この語は « Dutch » と比較して、「統一性や明瞭さの観点からして好ましいように思われる(... pour la terminologie anglaise, le terme « Netherlandic » nous paraît préférable du point de vue de l'uniformité et de la clarté...)」と述べている(Chambre des Représetants, Session 1970-1971, Questions et Réponses, 21 septembre 1971:2138.)。

英語の用語の « Dutch » の曖昧さからの議論でもあり、またオランダのオランダ語とベルギーのオランダ語が平等であるとする点からの議論でもあるけど、この試みには反対の立場を示す研究者も多くいたようで、実際にこの新しい用語の導入は大きな成功をおさめるまでには至らなかったよう。Bruce C. Donaldson (1983) は「幸い、この語は自然死をとげた(the word Netherlandic (...) Fortunately the word seems to have died a natural death and I would like to lay a final sod of earth on its grave in this work.)」とまで言っている(Dutch: a linguistic history of Holland and Belgium, p. 5.、邦訳:石川光庸・河崎靖訳(1999)『オランダ語誌:小さな国の大きな言語への旅』現代書館)。

日本語でも相変わらず「オランダ語」と言っているわけで、もしかすると英語の用語問題よりもより大きな問題かもしれない。とは言っても、いまさら「ネーデルラント語」とか表記することも難しいし…。ホラント州のことばが(現在の)国境を越えてフランデレンの人々のことばをも「オランダ語」とするのは本当は違和感がある。少数言語・地域語については「現地語読みの原則」が適用されるのが普通になってきているけど、「オランダ語」のような「大」言語にはこれは当てはまらないらしい。というよりも、人口に膾炙され過ぎてしまった!?

 

 

 

11月の後半へ



石部尚登(いしべなおと):naoto19@aol.com