6月1日(金)           
モナコはとても美しい。駅・道路・町、全てがきれい。すごい街だ。っていうか国だ。とだ駅にはコインロッカーがなく(なつしかやらないと、Niceまで行けと)、荷物をコロコロさせて街歩き。F1は先週かな?熱覚めた様子だけど、コースを歩く。やっぱりトンネルから最後のシケイン、そしてホームストレートと感動した。そう言えば、今年は結果を知らない。

MonacoI MonacoII
紺碧の街 防犯カメラだらけの駅
財が唸っている

インフォメーションで地図を貰う。「フランス語?」と聞かれたので、「en japonais ?」と聞くと、あると言う。「Ça existe ?」、「bien sûr」って。うん、凄い。日本語。このパンフレットが実に素晴らしい。歴史とか現在の体制とか、Monacoをよく知らせようとしている。裕福国家。
MonacoからMarseilleへ向う途中、Niceの一つ手前の"Villefranche sur mer"という小さな駅でおり、電車1本分だけのんびり。駅が砂浜に面している。"Côte d'Azur"というだけに海が青い!こんな有名なリゾート地なのになぜこれだけきれいなのか(まぁここは人が少なめ)と言うくらいきれい、暑いし海に入りたいなと思いながら、ぼーっと。う〜ん、砂浜ではみんなが乳を出している。う〜ん。

F1 MonacoI F1 MonacoII F1 MonacoIII
F1 Monaco Grand Prix
・・・の1週間後、撤収中
F1 MonacoIV F1 MonacoV F1 MonacoVI

う〜ん疲れた。全くもって疲れた。今日でちょうど夜行のみの旅も1週間を過ぎたことになるか。やー、疲れた。F1コースを歩いたのもこたえた。足が進まない。Marseilleは旧港を見て、ケバブを食べて終わり、終わり。それにしてもこの街、モナコに比べてだけど汚い。そこら中で工事をしていて、風も強くてゴミが舞っている。荷物預けて駅を出たとたん、目に何かごっつい物体が飛び込んだ。涙が溢れ出る。もう嫌、右目だけ涙ボロボロで歩いていると、今度は左目に小さいのが……、やっとれん。
MarseilleからLyonへのTGVは出発に30分以上遅れる。今日は朝からここらへんのダイアがぼろぼろ。TGVが一般の路線を走っているから、TGVにも大きな影響がある。どうにかLyonでの接続は出来たけど、それにしてもずっとこみこみだった。Paris-Marseille間で直通TGVが走り出した一大ニュース。こんなところ。
LyonからNanteへのフランスを横断するときめきの夜行も今日は込み込み。座れない人間も沢山通路に溢れている……。よかった予約しておいて、そうか今日は金曜日。疲れているのに人が一杯で辛い。そして異様に寒い、寒い。

乳を出す ちらちらと見てまう
そしてちょっとむらむら、最悪

          

  
  
6月2日(土)           
Nanteじゃなく次のRedonでRennes行きに乗り換え、この電車も込み込み。さらに2両……。しんどい。Rennesの駅で荷物を預けようとしたがまだ開いていない。もう8時過ぎなのに。どうにも荷物預り所は8時50分からということ。働けー!週末。
すごいモン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)。来てよかったー。Pontrsonの駅をバスで出てすぐにその姿が目に入ってきて、近付くにつれ感動が大きくなった。すごい。姿が見える距離なので帰りは歩こうかなと思ったけど、この安易な考えで今まで何度も失敗しているのでヤメ。「見えても遠い」、格言。ただ列車の便が悪すぎる。よって帰りはバスでRennesまで直通。
修道院の中は尋常じゃないくらい人口密度が高いので、早々に抜け出し、来た道を戻ってみる。遠くから見たほうが凄い。けど今回はどんなに離れても最初の感動は蘇ってこなかった。風が強い。羊がたくさんいる。修道院の裏にまわって水のひいた砂漠を眺める。砂に移る陰で雲の早さが分かる。とっても早い。雲ってずっと向こうから晴れ間が波のように押し寄せてくる瞬間。とても爽快だ。

Mont St-Michel外 Mont St-Michel内
Mont St-Michel
Mont St-Michel

モン・サン・ミッシェルからRennesに向うバスにのると雨が降り出す。この1週間で始めての雨かな。それにしてもこのバス高い(69F)、パス使えず。
昨日とは1点違うTGVで、がらがらTGVでParisへ。Tomoちゃん、Seikoちゃんとお別れ。朝まで飲む。頭が痛い。まぁよいよい。
          

  
  
6月3日(日)           
今日は晴れた。いい天気になった。だが寒い。けど気合を入れて半袖。まだまだ酒が残っている。重い重い。それに眠たい。楽しかった。けど、分かれとはやっぱりつらいもの。去年の夏Vichyで出会った2人、彼はParisに住んでいて、自分の夢に向って頑張ってはる。僕は一足先に日本に帰るわけだけど、負けないぐらいにきばらんと。寂しさが募っていつもにはない熱い文に(なったかな?)。けどみんなちゃんと夢に向っている。そして一つ問題。僕にはやりたいことが(=夢)が多すぎる。たくさんたくさん。この歳になって、子供か?

よし言い事を教えましょう。フランス語を知りたい人。パリを知りたい人。そして、何よりも建築を知りたい人。 ともちゃんにメールしてもいい。
いきなりメールしても、いきなり何かを質問しても大丈夫……、怒らない……、多分。そんなちっぽけな人間ではない。ほんとうに何でも答えてくれる、玉手箱。
tomootemma@hotmail.com       ……言いすぎか?
          

  
  
6月4日(月)           
DijonでTuneさんの所にお世話になる。
・車を借りてDijon近くの素敵に村にドライブ(いかん名前を忘れた)。
・夜は中華料理屋で。「C'est déjà beaucoup.」ってぐらい、テーブルの上にならばないくらい大量に注文。腹一杯。そして2次注文。
          

  
  
6月5日(火)           
DijonでTuneさんの所にお世話になる2。
・ワインの葡萄畑の中。ブルゴーニュやからね。
・Dijon大学近くのランドリーで選択。
・帰りのTGV。中国人大大団体客の為に"selon disponibilité"。どうも疲れているので、すぐ後の急行でParisまで行くことにする
          

  
  
6月6日(水)           
昨日の電車の中。車両はガラガラ、アルジェリア人が多い。色々話しかけてきてうるさい。煙草くれー、食い物くれーって。フランス−ベルギーの国境でパスポートコントロール。いつもは全くないのに。それで近くにいた黒人女性がパスポート持っていなかった。信じられない……(いや、僕も持たずにフランスはたくさんあった)。ちょっとどうなるのか興味シンシン。けど、国境で降ろされることはなかった。係員がいなくなったら周りのアルジェリア人(こいつがうるさくこいつもパスポートじゃなくコピーだけ。けど大丈夫。何故?)に「AP(Agile politique)」と答えろと教えこまれていた。女子の方はフランス語、極めてダメ。このアルジェリア人の話しをこっそり聞いていたら、APはいわゆる難民で法律で定められていて、数日ホテルに拘束されるけど、その後何かお金を貰って自由の身になるらしい。まじで!?その後、このアルジェリア人が女子を襲い始めた。女子の方は「Laisse-moi !」って激しく抵抗。けど"ちゅっ、ちゅっ"って聞こえてくる。怖かった……。犯罪やん。びびって目を向けることも出来なかった僕……。その後係員に連れて行かれた女子。
ベルギーから離れられない。Monsに向い、寮のおばチャンから荷物を受け取り、保証金を返してもらう。半分くらい電気代の超過料金に取られたけど、それでも9000BF(約25000円)は返ってくる。問題はそれを小切手(chèque)でもらったこと。すぐにDexia(銀行)に行ったら、「ここではすぐにお金に替えれない」と。何よりもパスポートが必要だと。あぁぁぁ、それBruxellesの駅のロッカーに荷物と共に預けてきた。Bruxellesに行かなければ。
その後、Andoréとの約束でちょっと会う。BruxellesのDexiaが何時まで開いているのか聞くためにBoussuの町のDexiaに行くと、閉まっている……。水曜日は午前しか営業してないらしい。いやな予感。Andoréの友達でDexiaで働いている人がいるというのでその子に電話して聞いてもらうとBruxellesのDexiaは開いているけど3時までと……。今日は終わった……。ベルギー延泊決定。
さすがにテスト期間中ど真ん中のAndoréの所にこれ以上お世話になるのは気がひけるので、恥ずかしながらも2週間前にお別れをしてきたTayasuさんに救いを求める。快くOKしていただいて助かった。そう言えば6月6日(水)。予定ではサン=マリノに行って現地で見る予定だったW杯予選「ベルギーvsサンマリノ」をTVで見た。
          

  
  
6月7日(木)           
Suite le mouvement inopiné de grève des signateurs, le trafic sera perpetubé 14:00 à 16:00.

やはりベルギーの呪縛は解かれていない。Dexiaで小切手をお金に替えた。そのお金を本と郵便代に替えた。とっても順調に。いつもは込み込みの銀行も本社(?)は人一人いない。巨大な空間。そこに受付嬢が2人、一瞬間違えたと思ったけどそれでもすぐに小切手を現金化(encaisser)できた。
今日中にMünchenまで行き、明日の朝早くにBudapestに入ろうと北駅から13:02発のCologne行きのICに乗った。今日はダイヤがぼろぼろだったけど、この列車は定刻運転していた。けどベルギーはそう易々と出国を許してはくれなかった。Liège手前のAnsという駅で停車して動かない。時間は14:10。そして放送がはいる。「・・・14時から16時まで動かない・・・」。原因はスト……。多分、それはしたらあかんことなんとちゃうかな、急に。
けど今日中にMünchenに行くことが出来なくなった。潔く今日のBruxelles発の夜行にのることにしたがいずれにしろ電車が動かない状況では身動きが取れない。誰もいなくなったICの中でゆっくりこれを書き本を読んで時間を過ごそう。で、Liègeまで行ってそしてまたBruxellesに引き返そう。恐るべしベルギーの呪縛。
余った時間でEupen。ベルギーのドイツ語圏。東端のEupenから北海に面するOstendeに向うベルギーを東西に横断するICがある。車内の放送が興味深い。ドイツ語→フランス語→フラマン語→フラマン語・フランス語(2言語)→フラマン語。ベルギーのベルギーたる電車。

Eupen Eupen
ドイツ語・フランス語

          

  
  
6月8日(金)           
BruxellesからChurへの夜行はがらがら。本当にガラガラ。さらにBaselで電車を乗り換えなければならない(couchetteはそのままでいい)。Basel(フランス語では「バール」っていうらしく分からなかった)の駅には一応ゲートをくぐってパスポートコントロール、税関みたいのもある。この税関の男が感じ悪い悪い。出だしでイメージ悪くなった。小雨模様で寒いし……、もう6月なのに……。とうとうごっつい長袖を出して着た。
リヒテンシュタイン(Liechtenstein)はスイスフランが使え、電車はオーストリア国鉄、郵便はオリジナルらしい。Shaanという何もない町で2時間電車を待つ。ついでに昼食。肉マニア

Sargans Shaan Shaan2
Sargans駅 昼食 −肉マニア− Liechtenstein

Insbuckの観光案内所出地図を貰おうとしたら48シリング(約350円)かかるとのこと。両替で78シリングしか手に入れてなかったので到底買えない。
München−Berlinの夜行の切符が取れなかった。今日はとっても人が動いているらしい。どうしようかな。Dresdenに行こうかな。眠たいよー。うん、そうする。23:10の発車まで待合室で待つ。人が一杯。電車も込み込みなんでしょうね。待合室で日本人、中国人、韓国人に囲まれた。そこには小アジアができていた……。


Liechtenstein
Liechtenstein

Vaduz est la capitale de la principauté du Liechtenstein, la résidence du prince régnant et la siège de l'administration et du Parlement. Vaduz, un nom appartenant à la langue rético-romane, est à dater de l'époque où les romains agissaient en maitre dans la Province de Rétie.
La première appariton docummentaire est l'an 1150. La comté de Vaduz fut fondé en 1342 englobant la majeuxse partie de la principauté actuelle. Sur le château regnèrent successivement les souvrains, les comtes de Werdenberg à Vaduz, les barons de Braudis originaires de l'Emmental, les comte de Sulz de Klettau du pays de Bade et les comtes de Hohenems du Vorarlberg.
En 1712, le prince Hans Adam du Liechtenstein acquiert le comté, et en 1719, l'empreur Charles VI l'unissait avec l'autre territoire, le domaine de Schllenberg et l'élevait à la principauté impérale du Liechtenstein. Vadez devint le lien principal du pays.
Les princes du Liechtenstein descendent d'une vieille famille noble autricienne. En tant que capitaines généraux et diplomates, en amis de l'art et bienfaiteurs, la famille appartenait aux plus considérés dans l'empire germanique et en Autriche.
Le Prince Franz Josef II du Liechtenstein est le premier de sa ligne ayant pris domicile permanent dans le château de Vadez.
C'est le château, symbole de Vadez qui, dans ses plus vieilles parties, a été construit au 12e déjà et elargi plusieurs fois plus tard, ses donjons enormes datent du 16e.
C'est ancien village, connu avant tout par ses excellents vins, s'est transformé en un endroit ou industrie, commerce, banques déploient leurs activités. Vadez est aussi le centre du tourisme.
          

  
  
6月9日(土)           
Dresden行きの夜行に乗れたのはよかったけど(まぁ全車指定じゃないから乗れるんやけど)、どうしても早くベルリンが見たいので、早朝5:46にLeipzigで電車を乗り換え。8時過ぎには遂にベルリン(Berlin)に到達。待望のBerlin!
ベルリンは広いね。歩くのは大変だと思う。けど何故か人がたくさんいても息苦しい感じはしない。どこまでも広々とした感じでよい。今日は晴れて、日陰では寒いくらいだけど、歩いていると気持ちがよい。
ブランデンブルグ門は工事中?絵のシートが掛けられていたけど遠くから歩いてくる時ずっとそれが本物だと思っていた。壁の破片を買ってしまう。多分嘘もんやと思うけど、まぁ自分が信じる分にはいいかなと。もう壁の跡は分からない。出来ればもっと早く来たかった。80年代、激動の最中。その頃何しとったやろ。小・中学生か……。来たかったな。

Berlin1 Berlin2 Berlin3
Berlin :戦車: ブランデンブルグ門
けど張りぼて

「ベルリンの壁博物館」は長蛇の列。街中に人がいないなと思ったら、みんなここにいたのか。で、中を見ると展示室に人がぎっしり、やめやめー。こんな感じじゃ何も見れない。また来ればいいのさ。
その後ドレスデンとLeipzigの街を歩く。ベルリンで時間を食っちゃって余り時間がなかったけど、どうにか東ドイツ3都市制覇。ドイツはなんとなく肌に合わんような気がしていつも通過するだけやったけど、なかなかよい。何より街自体が親切、予想に反して。
けどドイツってなかなか凄い国だ。激しい程の利便性の追及:中央駅”Hauptbanhof”なんてその象徴と僕には思えるし(まぁ焼け野原からの復興だからこんなことできたっちゅうのもあるんやろうけど、Parisではできん)、さらに鉄道でいえばあの国内に張り巡らされた鉄道網は凄いの一言。まぁ、夜行電車の超充実も素晴らしい。もうここまでくると『うらやましい』。あぁ、ビールも安いし。500ml缶で2DMで100円ちょい。hotdogは3.5DM。

Sargans Shaan Shaan2
Leipzig
ファウスト
Leipzig どこの駅にもこの「鉄道模型」がある
有料だけど

DresdenからKrakowまでの夜行なんだけどいつものように2等・座席車。編成表を見ると1両しかない。今日は喫煙車のいい席を巡り頑張らねばと思うが、乗客が全くいない。そして入線してきた電車にはKrakow行きの2等座席者など連結されていない。Warzshawa行きは2両あるけど。聞いてみるとWarzshawa行きに乗ってWroclawって所まで行って、そこで車両を乗りかえるということらしい。午前3時半ぐらいだとか……。かんべんしてくれー。絶対寝過ごす。今日は席がたくさんあるし。それに女車掌はそれ以上聞くと「No English !」と言って邪険な態度。こいつは起こしてくれるんでしょうか?このままWarzshawaまで行きそうな予感がびしびし。けど、その切ない態度を見ていると「東」に来たな−って。

Dresden よるごはん
Dresden よるごはん
          

  
  
6月10日(日)           
ドレスデンからポーランドへ向う途中の夜行の中で暴睡。
13泊目の夜行ということもあり、またコンパートメントに誰もいなかったということもあり、
恥ずかしながら暴睡でした……。

結果はジーパンの前ポケットをナイフで切られ財布を奪われました。
十分にカッコ悪いです。

中には20DMしかはいってなく、まぁいいかとは思ったのですが、
よく考えるとクレジットカードとCITIBANKのキャッシュカードがはいっていたので、
一切お金を手に入れることが出来ず、
さらにはもうなんか疲れてしまったので……、

靴中貯金の200ドルを手にとっととベルギーに戻りましたとさ。
くだらない
          

  
  
後日談           
1.
無事に日本にたどり着けたことは言うまでもない。12時間という機内待機、正々堂々と「煙草すわせて」ってスチュワーデスに頼むも、あえなく却下。それでも、シベリア鉄道経由の帰国より楽なのも言うまでもない。ただね、僕はその『シベリア鉄道で地球の大きさを感じながらゆっくりと帰国する苦しみ』を味わいたかったの。

2.
帰国して早速、"CITIBANK"と"VISAカード"に確認。
               ・ VISAカード、2件の買物計75,000円くらい使われている・・・
               ・ CITIBANK、1件"Maestro"で30,000円くらい使われている・・・ 共に使用されたのが午前の2時過ぎ・・・、そんな時間にどこの店が開いているの・・・。絶対店主と共謀の上やね・・・。どんなに慌てて停止手続きしても無理無理、電車の中やからね。
VISAカードに関しては保険で大丈夫とのこと(本当は盗難届け貰って来なあかんかったようやけど、まぁなくても大丈夫と言ってくれた)。
翌日、CITIBANKに行くも、保険はなしとのこと。けど駄々をこねる。すると、調査をしてくれるとのこと。ただ、お姉さん曰く『どこへも向わない調査(どこでどのように使われたか分かったところで、保証される確率はほとんどない)』とのこと。うまいこと言う。

3.
後日CITIBANKの担当者から電話がある。なんか向こうのATMの番号らしく、長々としたアルファベットと数字の組合せを聞かされ、「このATMで使用されました」と。で?そんなもの僕が分かったところで意味がないやん。「そういうことです」と。ちょっと、切なくなる。苦情担当の人かな?けどどうにも納得いかんので駄々こねる。「向こうに問い合わせてみます」と。きっと無理だね。

4.
CITIBANKから電話で「向こうに問い合わせたらお金が返ってきました」と。えっ!そうなん。いけんねや。嬉しい話。駄々こねるべきだね。(8月9日)

5.
フランスから最後の荷物が届く。6月2日にDijonから送ったもの。スペイン・ポルトガルの写真が入っている。100日かかったね・・・。(9月11日)