3月16日(金)           
朝から授業あって、午後から図書館で勉強して、ちゃんと学生したところで夜フランスへ向け旅立つ。別に何の予定もなかったんやけど明日パリに用事があって、さらにパスが1枚残っていたので、そしてさらにさらに"Pont du Gard"が見たかったので強引に今日夜行でAvignonまで行って"Pont du Gard"見学後TGVでパリに辿りつくということに。昨日決めた。即決。便利な事にLilleから南仏に行く夜行が出ているのでそれに乗る、パスあって予約なんて必要ないから移動日はTournai-Lille間の200FB(約570円)のみ。パス一回フルに使う。
夜行ははじめて危険な雰囲気を感じた。なんか修学旅行みたいな60人ほどの若い団体がいるし(こいつらがうるさい。明け方まで喋りつづける。分かるけど……)身の危険は大丈夫だけど、かなり盗難の危険を。荷物注意しなと気を使っていたけど、大丈夫。Avignon着が朝速い(6:29)のとあまりの「寒さ」で眠れないから。この電車は座席車両はリクライニングってやつなんやけど、使えない。さらには禁煙車両が無いのでデッキはもう禁煙ルーム、灰皿なんて無いので皆が床にポイポイと、朝煙草を吸いに行くと(まぁ僕もそこに捨てるんやけど)本当にえらいことになっていた。無秩序、真剣に吸殻の山が出来ていた。
          

  
  
3月17日(土)           
定刻にAvignon着。危険を感じていた若者たちも煙草を吸って喋っているといい奴らで最後に「Bon Voyage !」と一言もらって気持ちよく分かれる。Avignonの駅は朝早くから人で溢れていた……。何度「Pardon」と言ったか、多分パリ行きのTGVに乗る人達なんやろう。
朝からお腹が痛い。駅のトイレはホームにあって、なぜかフランスには珍しく改札みたいのをやっていて、駅員にトイレ行かせてというと、「人が多いから駅のカフェでトイレ借りたほうが言い」と言われる。けどカフェのトイレは『お客さんに限ります』と鍵がかかっている。仕方無いので腹痛くないということにして、荷物を預けあわててバスターミナルへ。時刻表を見るとバスは7:40、たっぷり時間があるので、たっぷりトイレにいれる。助かった……。けど男子トイレの個室は全部鍵がかかっているので、仕方なく女子トイレを借りた。大丈夫でしょう、誰も人なんていないし、緊急事態やし、それにおばちゃんもよく男子トイレ使っているから。おあいこ
バスは40分程で"Pont du Gard"最寄のバス停につく。そとは大雨、けどもちろんそこで降ろされる。傘なんて持ってない。雨が止むのをトイレとカフェでゆっくりと待つ。まぁカフェのお姉さんに聞いたら「今日は1日中雨。C'est dommage!」ってことなんだけど、小降りにはなってくれんことには。1時間ちょい時間をつぶし小降りになったところでいよいよ"Pont du Gard"。僕が行った頃には誰もいなかったので禁止となっている最上階を歩かないことにはと両端で様子をうかがうが無理。頑丈に塞がれている。まぁよかった。
帰りのバスは13時過ぎにしかなく(噂にたがわぬ不便さ)、ぼっとしてるのも辛いので途中の街Remoulinsまで歩くことに。4Km程ということ。来る途中のバスでその町にSNCFの駅があったのを確認していたのでもしかしたらいい接続があるかと。雨もかなり上がって来ていてわりと暖かかったので気持ち良く見渡す限り畑の道を歩く。けど全然街が見えて来ないので不安になって畑で野菜を採っていたおじさんに「あとどれくらい?」と聞くと、送っていたると。トラックの荷台に乗せられ送ってもらう。少しドナドナの気持ちが分かった。なんか売られに行くような。物悲しい気持ち。けど感謝。
町の入口に降ろされて駅まで向い始めたらまたかなりの大雨に。もう完璧に濡れていたので吹っ切れている。いいよ別に。寒いけど。で、駅に着くとシャッターが降りている。もしや廃止?確かに"Tomas Cook"にそんな路線のってなかったし。色々張り紙を見ていると『ホームには勝手に行ってください』とあるので多分電車は走っているんでしょう。で、土・日は運休ということなんじゃないかな。よく分からんけど。まぁとにかく今日は電車無し。もう1つ興味深い事が書かれていたので後述。慌ててバス停に行ってもいいバスは無し。Nime行きのバスがあったのでそれに乗ろうとしたけどバスは停まってくれなかった……。バス停が違うんかなと色々尋ねながら町の中を行ったり着たり、雨に濡れながら。結局バスに乗ったのはその"Pont du Gard"を13時過ぎに出るバス。最悪。そしてそのバスに乗る頃には雨も上がり太陽が出てきた。
パリまでのTGVはさすがに快適。時間がなくてAvignonの街を歩くことが出来なかった。まぁ法王庁とアヴィニオン橋はバスの中から見た。以上。

Pont du Gard Remoulinsへの道
Pont du Gard ドナドナ

Dans cette gare du 15 au 17 août 1944
a stationné un train de 700 déportés
à destination de DACHAU
la population et les cheminots
en ont aidé a s'évader
CIGARROA LEON D'ARCACHON (GIRONDE)
mort d'épuisement a été inhumé
dans le cimetière de Remoulins
que personne n'oublie

最初は駅が誰かの尽力によって建てられましたよー、っていうことかとおもって読み始めたんやけど。違う違う。確か、Dachauはミュンヘンの近くのナチス・ドイツの最初の強制収容所。こんな所からも収容所に送られたんやね。なんとなく当時の光景が想像できて雨の中読みいった。なんせ時間がかかるので。興味深い。

『1944年8月の15日から17日にかけてのこと
この駅2700人の抑留者を乗せた電車が停まった
その電車の行く先はDACHAU
住民たちと鉄道員たちは
力を合わせ彼らが逃げ出すのを手伝った
CIGARROA LEON D'ARCACHONは
その中で力つき命を落した
彼は今Remoulinsの墓地に眠っている
誰も彼の事は忘れない』

パリでは同じ学校の人達と会った。先生にも会った、っていうかこっちがメイン。全くもって色々御馳走になった。楽しかった。
          

  
  
3月18日(日)           
朝4時(5時?、6時?)くらいまで話をし就寝、起きたのが10時ぐらい。お昼からParis歩き。今日はロンシャン競馬場(Hippodrome de Longchamps)を見に行く。つまりはブローニュの森散策。競馬をやっているやっていないは別にして純粋にLonchamps競馬場が見たい。何と言っても『凱旋門賞』のロンシャン!その前に恒例のごとく本屋さんへ行ったが、そう言えば今日は日曜日。休み休み。色々回ったが全滅。僕が悪い。今日は日曜日。地下鉄IでPorte d'Auteuilへ。
ついでにここまで来たんだから"Stade des Princes"も。このスタジアムはPSGの本拠地で"Stade de France"ができるまではフランス代表の試合もここでやっていた。これまた今日試合があるかないかは全く別としてただどんな所かを見に行く(もしかしたら試合があったらなぁーと期待をして行ったが、なし)。ほんならものの次いでやしローラン・ギャロス・スタジアムも。両スタジアムとも人手がなく厳重に門が締まっている。当たり前か。ブローニュの森をとことこ歩く。朝はぐずぐずしていた天気もこの頃になると太陽が出て暖かくなってきた。ブローニュの森……、想像していたより以上に広い。さすが日曜日親子ずれのファミリーがそこかしこにいる、溢れている。もしかしてこれが日本と一番違う光景かも。行く手に広大な芝が見えてきて、そこがLonchamps競馬場。凄い、広い、緑がきれい。何と言っても驚くのが胸ぐらいまでの柵。すぐにでも乗り越えれる。すごい入ってみたくなったけど、衆人監視のこの真昼間に中に入るほど根性があるわけじゃない。お馬さんはいないけど、草の匂いをかぎながらベンチに腰掛ける。あまりに草の匂いが強烈で鼻血が出そうになった。3時間ほど歩いて後で地図を見ると森全体の南半分を歩いたに過ぎない、それだけ広大。
8:59パリ北駅発のTGVに乗る。駅に着いたのは出発の10分前。急いで切符を買いに行くと長蛇の列。これはいかんどう考えたって。それで自動販売機で。普通はParis-Lille間、「Découverte 12-25」の割引で100フランちょい(電車によって料金が違う、それがTGV)、しかし自動販売機で買うとどう頑張っても207Fにしかならない。この日曜日の夜遅くのTGVは特別高い料金が設定されているのか、それとも機械では50%の料金で買えないのか、それとも機械の故障か。それを尋ねる時間もない。このTGVに乗らないと今日中にMonsへ帰ることが出来ない。仕方ない100F(約1700円)の損かも知れんけど、知れんけど、買う。このTGVの中で『SNCFに対するアンケート』みたいのが配られた。何故僕のような外国人にも(英語表記があるわけではない)?まぁ全員にアンケートと言うのは分かるけど、書くものがないといったらわざわざペンを貸してくれたし。質問は「どこから来てどこに行きますか?」とか「TGVの中に自動販売機があるのを知ってますか?それを利用してますか?」みたいなもの。とっても簡単なフランス語で書いてある。こういう点は説明書なども含めてとっても簡単なフランス語で徹底している。難しい文を読めない人は結構いる(喋れても)、無論書くとなるととても難しいフランス語。僕が2枚目に行く頃には前にいるサラリーマンはアンケートを終わる。ちょっと悔しいのでスピードアップ。隣のおばあちゃんには勝った。
          

  
  
3月19日(月)           
とりたてて。雨が降るくらいかな。
          

  
  
3月20日(火)           
これといって。雨が降り続けているくらいかな。
あぁ、最低気温が−6℃ってことも。
          

  
  
3月21日(水)           
Bruxellesに行く。ルーマニア大使館に行く。むちゃむちゃ人で溢れ返っている。が、またなくてもいい。彼らは何を待っているのでしょう。「VISA欲しい」と言うと、「日本人なら国境ですぐ発行してくれるし、その方が楽」と。けど、本にもルーマニア外務省のサイトにも国境でのVISA発行は緊急時を除いてしないと書いてある。その事を言っても「大丈夫、大丈夫」と。「多分電車で入国するよ」と言っても「大丈夫、大丈夫」と。何がいると聞いたら「passport ... l'argent(お金)」と和やかに雰囲気。よしこうなったら信じよう。もし発行してくれへんかったら入国を諦める。決めた。とってもいい人やったし、初めてなまのルーマニア語を聞けたし。多分ルーマニア語の「r」は巻き舌なんやね、おっちゃんのフランス語もかなりの巻き舌「r」やった。面白かった。
雨がねー、うっとうしい。日本語の本を買いに行った。おばちゃんと話ていると、最後に17日(土)の"The Asahi Shimbun"を「わざわざMonsから来てくれたんやし、古い新聞やけど日本語読みたいだろうから、これあげる」と言ってくれた。当日読めるのは素晴らしいけど値段が何と140FB!日本円で言ったら400円くらい!とてもじゃないが買えない(だからこそ有り難い)。やっぱりネットでニュースが読めるのは素晴らしいね(読まないけど)、けどそれも僕には高いのでAOLの最初の画面のニュースで十分。けど、「脅威の新人!発登場1位」とかはいらない……。
          

  
  
3月22日(木)           
今日はひっさしぶりにものすごく大きな量のフランス語を読む。けどこれだけ読んできてもまだ初体面の単語たちと出会うのはいったいどういうことさ。世界は広い。で、初対面では人見知りする僕だから初対面の単語たちと出会うとちょっと上手く付き合えない。なんとなくよそよそしく、けどまぁぞんざいに扱うことは出来ないので最初は丁寧に辞書で調べて彼ら・彼女らの身元を調査する。けど段々それが億劫になってきて勝手に彼ら・彼女らの姿や中身のイメージを作ってしまう。これはいけない、その後は彼ら・彼女らの本質を知らずに勝手にイメージで接してしまう。本当は違う奴かもしれないのに。なかなか中身を見ることが出来ない。まぁすぐに仲良くなれる奴もいれば、何回あってもどうもよそよそしくなってしまう苦手な奴もいる、で、そんな奴に限ってよく出会う。その役割で先入観を持って最初から無視してしまう奴もいる(例えば副詞の地位にいる奴なんて……、勝手にしろ)。それに大きい奴は嫌いなんやよね、長いやつ、読み難いし、無視無視。
          

  
  
3月23日(金)           
今日はSNCB(ベルギー国有鉄道って所かな)が全面スト。何でこの時期に。ついでにバスのTECも一緒になってスト。いつもは全く僕に影響ないんやけど今回はちょっと、もしかしたら重大な影響があるかも。と言うのも明日パリで『フランス−日本』のサッカーの試合がある。で、前日から乗りこもうとしたんだけど、交通機関が動いていないと僕は全くこのMonsから外にでることが出来ない。日本に繋がらない、陸の孤島に。明日はほぼ絶対の確立でストは解除されるということだけど、本気でお願いします。もし試合が見れなかったらかなり切れる。けど多分そんな場合は歩いて国境を越える……。
日本語の授業にマダムTayasuが来てくださった。日本語を教えているマダムTayasuがいると先生の質問は僕に来ない、さらに今日はAndréが多分バスとストの影響で休みだったから質問がなく気楽なもの。まぁ存在価値がないとも言える、はぁ〜"raison d'être"。授業の後近くのレストランでイタリア料理を御馳走してもらう。うん、日本語もたくさん話せました。大感謝です。
寮で久しぶりに料理をする。カレー。スーパーで材料を買いこんできて料理。いっても具はジャガイモ・マッシュルーム・肉。全部格安。肉はなんとなく内臓系が食べたかったのでレバーを大量購入。200g程で41FB(約110)。安い。焼肉してー、多分1000円で文字通り死ぬ程食べれる。焼肉〜。いや話しはこういう事じゃない。一応肉はちょっと焼いてその後煮たんだけどやっぱりものすごい臭いが、まめに何度も洗いながらだったんだけど臭いが。寮の4階は内臓のいやーな臭いに包まれた。きっとこの臭いが我満出来ない人達もたくさんいるんやろな、と思いながら。どうすることも出来ません。ごめんなさい。多分日本人は変な物を食う民族だと思った人も中に入るんやろうね。ただでさえ『日本人は犬・猫を食う』と真剣に思っている人がたくさんいるのに。まぁ完成の味は美味。米はすぐに出来る。ティーパックみたいな感じでお湯で8分でチャンとご飯になる。ぱさぱさご飯はむしろ僕は好き。1パック125gなんだけどこれは何合?半合?知らん。
雨は降りましたが、今日は暖かかったです。
          

  
  
3月24日(土)           
本 - フランス  

さていよいよ今日は待ちに待った日。日本代表が"Stade de France"でフランス代表と激突。まぁ僕のまわりのベルギー人たちにとってはどうでもいい事らしいけど、まぁ間違いなく日本人・僕は心が昨日からドキドキ。SNCBのストがきがきでなかったので朝早くから駅に行って窓口で直接確かめる。「Aujourd'hui tous les train circulent ?」、「Oui, oui.」。よし問題なし。昼過ぎていつもの様にLilleまで行きTGVに。Parisに着く数分前から雨が降ってくる。雨はいやー。今日いつもと違うのは1人でサッカー観戦じゃないこと、ともちゃんと行く。ともちゃんがパリ北駅まで来てくれ、ちょっと時間があったのでいつもの様にトルコ料理屋さんでケバブとEFESを飲み準備完了。北駅周りに日本人が沢山たくさんいるかと予想していたけどそれほどでもない(真剣に今日は2万人の日本人がスタジアムに押しかけると予想していたのに)。雨がちょっと強く落ちてくる。今日は朝からぐずぐずした天気だったらしい、完璧なグランド状態は望めないか。いややねー、今日フランスが負るから、絶対明日のl'Equipeには『フランス代表、敵は日本ではなく雨だった』って文字が踊ってしまう……。
スタジアムには1時間前には着いてビール飲んで、マフラー買って("JAPAN"ではなく"JAPON"。赤白でこれがなかなかカッコいい。まぁ100FF(約1700円)は高いけどさ)、次第に緊張感が高まってくる。日本人の姿はよく見るけど想像していたより少ない。一緒に応援しようと思ったけど僕達の周りは見事にフランス人ばかり。まぁParis発券のチケットやから仕方ないと言えば仕方ないか、向こう側には日本の横断幕がある。それにしても周りに日本人がいない……。試合前日本のサポーターが何人か画面に映し出されていたんだけど、中に一人中指を立てた奴がいた……。もちろん会場全体の大ブーイング。これはかなり恥ずかしい。何故、日本人は中指を立てたがる。恥ずかしい……。

France - Japon 2 France - Japon 2
「France - Japon」
歴史的一戦だと。
毎回これを撮ろうとして
失敗していた。

『君が代』を聞いた時はかなり感動した。僕はとてつもなく『君が代』はかっこいいと思う。あんな浮かれた"la Marseillese"より100倍カッコいい。試合開始。グランドはやっぱり結構水を含んでいるらしい。立ち上がり日本よくない。

・・・・・・・・・・    結果は御存じの通り 5−0    ・・・・・・・・・・


切なかった。本当に切なかった。もうフランス人なんか浮かれまくりやもんね。後半最後なんていつ終わるともないウェーブ。もうええっちゅうねん。イングランド戦もドイツ戦もあれほどウェーブもなかったところを見るとかなり楽しかったんやろね。ドイツ戦の時はドイツはもう最悪のチームで終わったチームやと思ったけど、今日のようにフランスに好き勝手やらせんかったからね。攻めれないまでもボールはきちんとキープできたし。そう考えるとやっぱり日本はまだまだかな。いや、強いはず。今日はね、色々と難しかったんでしょう。う〜ん城。行こうよ、行けるって。けど交代間際の地面を蹴ったシュートはパスだね。高原(確か)フリーやったし。面白かったんはカランブ−。毎回後半始めくらいからずっとアップしているのに使ってもらえない。けど今回は30分過ぎ辺りで使ってもらえた。けど、ボールに触れると大ブーイング。何故?
今日は試合が終わった後スタジアムで花火があった。何故今日、イングランド戦もドイツ戦もなかったのに?色々考える。1.もともと決まっていたこと。2.日本戦やから、絶対大勝とよんでお祭り騒ぎを盛り上げるために。3.前回ドイツ戦で『送れては来るし、応援はしないし、試合終わるか終わらないかで皆席を立つし』とかなり新聞で叩かれていたから、観客が終わってすぐ帰らなくするため。さてどれでしょう。まぁ260FFの花火大会になった。

Stade de France Stade de France
花火 au Stade de France 花火 au Stade de France 2

          

  
  
3月25日(日)           
昨日は敗戦の疲れからかともちゃん家行ってちょっとビール飲んだだけでもう駄目。ふらふら。まぁ時間的には2時過ぎまでおきていたけど、今日の2時が3時になる。サマータイムっちゅうやつやね。1時間損するわけやね。で、せっかく朝さんが頑張って段々早く日が明けるようになってきたのに人間の力で強引に1時間頑張って来た分を戻されるわけやね。やりきれんね。
TGVに乗るために北駅に行くと大混雑。何故か、切符の発見システムが壊れて全く機能しないらしい。大量にある窓口で開いているのは2つのみ。大行列。自動販売機も使えない。駅員が切符ホームか車内で車掌から違約金なしで買えますと言っている。その人に"Découverte 12-25"のカードを使える事をちゃんと確認してホームへ。こんな行列待ったられない。何時間かかることか。ホームに行ったらTGV専用の自動販売機は使えるようなのでそれで購入。問題なし。この混乱はもしかして「夏時間」で1時間ずらしたことによる小さな「2000年問題」みたいなものかな。毎年やっていることなのに……。分からんけど。
Monsはわりと寒い。はぁー、ベルギー人から同情メールを頂きました。
   > Salut Naoto et sincères condolénces pour l'éuipe du Japon ;>)!
   「 … この度の日本代表の御不幸に心からお悔やみ申し上げます」、と……。うん、けど「l'équipe de Japon」ちゃうか?明日聞いてみよ。
          

  
  
3月26日(月)           
昨日の疑問「l'équipe de Japon ちゃう?」について。"de"じゃなく"du"ということらしい、じゃあベルギー代表は何かと聞くと、"les Diables"。いやーそれは汚い。フランス代表だってそれじゃ"les Bleus"や。じゃなくてと聞くと、"l'équipe belge"と。ドイツ代表も"l'équipe allemand"と言うなと、ベルギー代表はさらに"les Belges"とも言うなと。けど"l'équipe de (la) Belgique"と言うのは聞かんらしい。まったくどうなんか分からんくなってきて「フランス代表」は特別?と聞くと、「フランス嫌いやから考えんとこ」と。おしまい。
          

  
  
3月27日(火)           
朝荷物を届けに来た知らん人に起こされる。なんかものすごく怒っているようで「merci」と言っても返事もせずに去って言った。何やねん。思うに、若くて学生のようやったから多分違う階の学生なんでしょう。で、昨日あたりに僕の荷物が誤って届けられ(寮のおばちゃんのミスだと)、彼女は夜遅く帰ってきたのでどうすることも出来ず今日の朝学校に行く前に届に来たと、そういうことのような気がする。彼女にしてみれば確かにめんどくさいこと、分かる、けどそれでうっとしい表情されてもそれは僕にとってうっとうしい事。この場合誰が得した?誰も得することのない争いは起こりうる。まるで・・・・・・。けど本当はすごく助かった。荷物が届けられた時実は暴睡していたわけで、荷物を受け取って時計を見ると8:30。目覚し止めた形跡あり。ラジオも点けてある。ただ寝ていた。授業は9時から、まだ間に合う。大慌てで用意をし目覚めて15分後には寮を出る。あぁ、コーヒー飲みたい、時間がない。
          

  
  
3月28日(水)           
はぁ〜、今日は1日授業も予定も何にもない。やることがなさ過ぎて死にそうになる所だけど、ちょっと最近接触疲れがでていたので良い。清々しいー。この1日を丸々好きに使えると思うとたまらなく気持ちがいい。両隣の部屋にも春が来て、ちょっと寝不足。何をする、とりあえずお風呂に入る。長いこと湯に使って、重力から若干開放され、頭の中での非現実な旅に出る。OK。
新聞を買いに行く。毎日煙草と新聞を買っていく日本人なので常連さん。いつもの新聞に手を伸ばすと、いつものタバコを用意してくれる。新聞をぺらぺら。さすがに電車の事故の話し。1面から5面までず〜っと。時速90kmと時速85kmが正面衝突、さてどれくらいの力がかかったでしょう?一方の電車が反対方向に走ったわけ。そりゃあ危ない。そんなことありえへんやんと思うけど、それがあった。「工事のために1本のレールを双方向の電車が走ることはままある」らしい。けど駅構内を出る時に信号はしっかり『赤』だった。それを無視した。これは聞いた話だけど、今日電車が大幅に遅れたらしい。事故の直接的影響じゃなくて、運転手達の不満の表れらしい。"solidarité"=「連帯」。けど、今回は明らかに人為的なミスなはず。「今回のミスはSNCB(国鉄)側が働かせ過ぎているから、十分な休養を与えてないから、運転手の疲労はピークに達して判断力が鈍った。それで事故が起きた」と、運転手達の言い分。物事の見方は本当にたくさんあるねとつくずく思う。けど8人が死んだ。ミスをした運転手も死んだ。
          

  
  
3月29日(木)           
何した?
          

  
  
3月30日(金)           
午前中授業を受け、昼からParisに行く。SNCFのストで(一応は昨日終わったようやけど)Lille駅は大混乱。人で溢れ返っている。TGVは走るよう、けど切符がとれない。1等ならということで妥協、まぁ40Fぐらいの違い。別に1等といってもときめくものは何も無し。いつもの道のり。
久しぶりの再会。久しぶりの日本語での語らい。飲む飲む飲む飲む……。
          

  
  
3月31日(土)           
哀惜    

全てがここから始まっていた。
ここから金沢へ繋がっていた。
ここから京都に繋がっていた。
ここから東京にも繋がっていた。
日本中どこへでも繋がっていた。
時間と共にその繋がりが広がっていった。
宗谷岬に立ち、金閣寺を見、四国へ渡り、高千穂で神話を感じた。
すべてがここから始まっていた。

ここからベルギーにも繋がっていた。
パリ、ローマ、コペンハーゲン、アテネ、イスタンブール、
世界中に繋がっていた。
しかし今その扉が閉ざされた。
夢の延長線の断絶。
もう、全てを閉ざしてしまえばいい。
陸の孤島となればいい。

ちゃうねん、詩創って楽しんどる場合じゃない。本気で悲しんでいる。小さい頃からの遊び場がなくなるんやからね。別に廃止に追いやった人達に文句があるわけでもない、ただ反対のため何も出来なかったこと、別に僕の力でどうにかなるわけじゃないと思うけど、もう少し何かしたかった……。実際廃止が決まってからこの事実を知ったわけやし、それも大阪人から……。第3セクターである以上利益をうまないものを切ろうとするのは当然なことだと思う、けど、「鉄道は福祉」だと僕は思う。これからの時代を考え何故バスが代替手段として受け入れることが出来るのか、目先の小さな利便性を求めると後で痛い目にあう。とりあえずは地図の上から「輪島駅」は消えるわけや。失ったものは決して元には戻らない。痛いよ……。

Lilleで電車を一本目の前で逃してしまいMonsに着いたのは4時過ぎ、30分程で慌てて用意をしBruxellesへ向う。きっと何か忘れ物をしているはず、重大なものを。パスポートはOK。
電車に乗りこんでも一向に楽しい気持ちが沸いてこない。何だろう?この複雑な気持ち、旅に出たくないんかな?昨日Parisで楽しみすぎたからか?まだアルコールが残っているからなのか?全く……。旅に出るのにこんな気持ちは初めて、もしかしたら東へ向うのびびっとんのかな?じゃぁ、何故旅立つ、俺?2週間の休み、パス、東の国々への興味、条件が揃いすぎている。
19:10、まだまだ明るい中、ミュンヘンへ向け夜行電車は旅立った。明るい中の夜行、変な感じ。