2月16日(金)           
今日は極上と散々の両極端の日。朝6時半にピレウスの港に着いて荷物を預けにラリサ駅へ向う。日帰りでDelfiに行き、それからKorinthosに向いエディプス(Œdipe)な1日にしようと考えていた。しかしDelfi行きのバスの出るリオシオン・バスターミナルへのバスが出ている乗り場が分からない。オモニア広場の近くと聞いていたので辺りで道を聞きまくるが、答える人によって意見が違う(驚いたのはオモニア広場のキオスクの普通のおっちゃんがフランス語を話すこと。コミュニケーションが取れたが結局彼の情報も当てにならなかった)。うろうろしてバスが止まっている所で尋ねたら、そのバスが行くと言う。それを信じ乗り込んだ。多分700何番のバスやったと思う。一応運転手のおっさんに確認したんやけど彼は全く英語を解さず「リオシオン、バス」と言うだけ……。まぁとにかく出発を待つ。
昨日のフェリーでよく眠れなかった僕はバスが発車すると暴睡。目を覚ましたときは住宅地(住宅地の中の細い道をどんどん進んでいく)、するとバスは止まり運転手が大声で何かを叫び降りろという合図をする。どうも終点らしい。「あ?」 彼に「リオシオンは?」と聞くと、いきなり大声で怒鳴り始める。そしてとっとと降りろと。彼の仕草から判断すると「俺が教えてやった時、お前は寝ていただろう」ということらしいが(?)。何故起こる必要が?分からない。こんな所に降りても仕方ないので、もう一回キオスクでチケットを買って同じバスに乗りこむ。帰りはしっかりと起きていたけど彼は何も教えてくれない。じりじりしてきて「どこやねん?」と聞きに行くと、今度はさらに怒り激増で満員のバスの中で怒鳴り散らす。場が固まる。しかし彼が何をきれているのか、何を言っているのか全く理解できない。すると英語の話せるお客が近寄ってきてくれて「どこに行きたいんだ?」と尋ねてきてくれる。「リオシオン・バスターミナル」というと彼はこのバスは方向が違うよと。「一応運転手に確認したんやけど」と言うと「彼は英語が理解出来ないから」と。行き方とちゃんと彼に教えてもらったけど、一度けちのついたDelfiにはもういかん。感じが悪い。さっさとAthèneを出る。やっぱり都会はむかつく。
ポロポリス半島の南側のMonemvasiaという街に興味があったんで今度は別のターミナルから南に向う。ただMonemvasia行きのバスは4時間後でSpartaまで行って乗り換えろと言われる。ということでとりあえずSpartaの街へ。やっぱりバスはトイレの心配と窮屈さで電車に劣る。けどコリントス運河も見れたし(ただ上を通っただけやけど)、TripoliからSpartaへの道のりは山を蛇行しながら降りていく素晴らしい眺め。Spartaには3時間半で14:30に着く。すぐにMonemvasia行きのバスを聞きに行くと、これが20:00までない……。それでは着くのが23:00ぐらいになってしまうので断念。今日はもうここでホテルということにしよう。夜行3連ちゃんで疲れていたし、小さなSpartaの街でのんびりするのもいいでしょう。思い通りに事の運ばない散々な半日。

Sparta1 Sparta2
かっての軍事国家スパルタの地で
今は子供たちが凧上げに興ずる
トロイともに廃墟と化した……

けどSpartaで早々と宿を取ったのは結果的には素晴らしい選択となった。軍事国家Spartaの遺跡を見、古代スパルタに思いをはし、日のまだ高いうちから街をぶらつく。スーパーによりビアー、ソーセージ、オレンジを購入(1個8円くらい!)。街歩きに疲れたらホテルに戻りビアーを飲み、シャワーを浴びる。8時頃になり夕飯を食べるために外出。簡素な店構えのおっさんたちが溜まっている店に勇気を出し入る。スタジャンを着たマイク真木似のマスター。いきなり隣の英語を話すおっさんに「俺が作っている特産のワインだ」と言ってワインのピッチャーを奢られる。ずっと食べたかった小魚のフライとイカのフライ。店にはがんがんにギリシアの歌謡曲(多分)が流れ酔ったおっさんたちが口ずさんでいる。至福の時が流れる。腹は満たされアルコールに酔う。隣のおっさんたちは絶えず肉やタバコを差し入れてくれる。英語の分かるおっさんは30年以上も前、船乗りとして日本へ行ったらしい。若マスターも10年程前に日本に行ったそうで『中曽根』という言葉を知っている。日本でえらく優しくしてもらったらしく、「日本人は怒るまでとても親切だ」と妙な事を言い、どんどん酒を勧めてくれる。もう腹ははちきれそうで頭もフラフラなので帰ろうとお金を払いに行くと、さっき食べていた小魚のフライをおごったるから食べていけといわれまた席につく。席につくと再び新しいワインのピッチャーが……。それにギリシア煙草もどんどん勧められるので頭は真剣にくらくら。意識が遠のく……。僕はおっさんたちに潰された。もう本当にヤバイので本当に申し訳ないけど小魚3匹をナプキンに包んでポケットへ。そして大感謝を言い店を出、ホテルへ戻る。潰された……。負けた……。
これだけ飲み食いをしてはらったのは3000ドラクマ、1000円くらい。確かに確かに彼らが言っていたようにギリシアの小さな町にはもうアテネではなくなった温かさがあった。至福の半日。
最後にその小魚の名前を聞いたら「No name」と言っていた。オデュセウスに騙されたポリュペモスのように。僕は小魚を食べすぎ腹がはちきれそうになった。「何をそんなに食べ過ぎたんだ?」、「何でもないだ」。うーんちょっと違うか。

名もなき魚 「名もなき魚」

持ち逃げた……

          

  
  
2月17日(土)           
今日はMistraを巡ってOlympiaまで行き、そして夜行で明朝Athèneに着こうとのプラン。7:00に頼んだモーニングコールがなくとも8:00にはホテルを出てバスでMistraへ。Spartaの町では小さな市が建っていた。バスでMistraへ向う途中眼前に雪を抱く山々とその峰に広がる朽ちた街々。いやがおうにも期待は高まる。『ビザンチンの墓場』とはよく言ったもので急傾な山には破壊された街が広がる。朽ちているが故に美しいのか、否か。とにかく素晴らしい。暑いくらいの陽光に上着を脱ぎ上へ上へとゆっくと息を切らす。

Nyhavn Den Lille Havfrue Hotel d'Angreterre
MY狽sPA
Nyhavn Den Lille Havfrue Hotel d'Angreterre

そしてOlympiaへ向うわけだが、SpartaからバスでTripoliで乗り換え。TripoliからOlympiaへのバスは日に2本くらいしかないとのことで「今日Olympiaに行くこと出来る?」と窓口で聞いたら「行ける」と言うことなのでTripoliまで。しかしTripoliでバスターミナルに行って時間を確認すると18:30発。これまたOlympia着が10時くらいになる。確かに今日中に着けることは着けるけど……。夜行に乗らないといけないので意味がない。慌てて駅へ戻りKalamata行きの電車に乗る。
久々の電車はやはりいい。さらにこの路線がまた良い。山を縫うように走りいくつもの橋梁、いくつものトンネルを越える。たまに降りる人のいない誰のためにあるのか分からない小さな駅に止まる。Kalamataまで行くつもりだったけど途中自国表を眺めていると1分の乗り継ぎで半島の反対側、Kiparissiaまで行けることに気付き針路変更。その後色々もたもたし何故だかPirgosまで行き夕ご飯を食べることに。特製と言うオムレツ(オムレツの中にfriteが入っている。しかしそれだけ)と例の小魚(前回の魚とは種類が違う。もっと小さい魚で個人的にはこっちの方が美味い)、ビールを飲む。疲れているのか"特製"オムレツの大量のオリーブ油にやられてしまう。吐きそうになる。ずっと夜行の中でも気持ちが悪い。その後再びKiparissiaまで夜行を迎えに行く。この電車は素晴らしい1等車がついていたけど、パスを使いきったために2等車に乗ることに。バルカンパスは元がとれんと思うよ。1等パスだけど1等なんて殆どないし、あっても2等とほとんど変わらない。それに何よりもギリシア、トルコをはじめ電車代が異様に安いから。そしてバスの方が便利だから(電車は本数が極端に少ない。時刻表が小さな紙1枚に納まるくらい)。まぁこれでギリシアの旅も終わり。後半はとっても充実した旅だった。
          

  
  
2月18日(日)           
6:19定刻にAthènai着。その足で空港に向う。最近ガイドを参考にせずに動いて痛い目にあっていたのでガイドをしっかり読む。うん、エリニコン国際空港に行くにはオモニア広場近くのバス停からエクスプレス・バスに乗ればいいと。そういうことでmétroでオモニア広場まで行って地上に上がりバス停を探すがない。案内のおっちゃんに聞くとここからはバスは出ていなくて地下鉄のDafniからバスが出ていると。うーんどうも噛み合わない。多分ガイドは間違っていなくて地下鉄が延長されたためにそこからバスが発着するように変更になったのでしょう。Dafniに着いたところでバスがどれかなかなか分かりづらい、聞いてみると目の前に止まっているバスがそうでチケットは地下鉄の案内所で買えるとのこと。分かりにきー。まぁ出発したらエクスプレスっぷりを発揮しどこの停留所に止まることもなく10分程で空港東ターミナルに着。ちょっと早く着きすぎたので時間を潰し(何にもないちっちゃなちっちゃな空港。首都空港なのに……)、チェックイン。怪しげな店で買ったのでちゃんと乗れるか心配していたけど何のことはなく搭乗券が渡される。早速免税点に向いタバコを購入といこうとするが1箱5000ドラクマ(約1600円)ほど……。お金が足りない。そんなに安くないね。ばら売りしてくれへんかなー。仕方がないのでうろうろしているとギリシア神話の本を売っている店を発見『オリンポスの神々』と『トロイ戦争』の2冊のフランス語版を購入。残念ながら日本語版がなかった。一冊1900ドラクマ(約630円)ぐらい、2冊買って丸々ドラクマがなくなった。ジュースも買えないくらいに。もう1冊豪華な装飾のギリシア神話の本(そんなに高価じゃない)があって欲しかったんやけど日本語版もフランス語版もなかった。ブルガリア語、イタリア語、英語はあるのに……。
飛行機は小さなboeing737。3席3席で計百数十人といったところかな。国際線やけど沖止め、飛行機までバスで移動。定刻の10:00を多少回ったところで離陸。飛行機って本当に怖い。食事でギリシアで食べられなかったタラコのペーストみたいなやつが出てときめいた、いいね"Kronus Airlines"。座席はやはり狭くてむずむずしてきたところでRoma着陸。10:35。1時間の時差があるので実質飛行時間は1時間半といったところ。電車・フェリーで30時間を越える距離を……。この後荷物を受け取るために表示の方に進んで行くとかなりぐるぐる長い距離を歩いた末国内線到着ターミナルに出てそのまま外に出てしまう。えっ、なんで? 表示通り進んできたのに。それよりも何のチェックも無しに空港の外に出れるんやね、さすがEUパワー。仕方ないので国際線到着ターミナルまで行って「外に出てしまったんですけど……」と係の人に言って中に入れてもらう。誰もいなくなったターンテーブルの上で僕のバックが寂しそうに回っていた……。
さてここから。せっかく飛行機にまで乗ってRomaに戻ってきたんやからサッカーを見ないことには。もう無理はせずにRomaで。RomaかLazzioどちらか試合をやるでしょう。先々週はLazzioやったから今日もLazzioかなと思いながら"La Gazzetta dello sporto"を買うと今日はスタジオ・オリンピコで「Roma-Lecce」。さらに新聞を読んでいくと(っていうか目を通して行くと)「Momento Nakata」とある。さらには「非公式ながらCapelloが試合に出場出来ないTottiに変わって中田の先発起用を明らかにしたと」あるし、予想スタメンの欄にも真ん中に中田の名前が!おぉー中田が見れる。相手がLecceやし楽勝にチケットも取れるやろうし、うまく行く時は上手くことが運ぶ。Fiumicino空港からRoma termini駅まで空港連絡列車で移動して(この料金17000リラ、1000円ちょいっていう金額が理解出来ない。高すぎる!)、駅近くのホテルにチェックイン。フロントのお姉さんにスタジアムへの行き方を聞いて早速出かける(彼女はゴール裏はやめた方がいいよと忠告してくれた)。駅に行って910番のバスを探す、これがなかなか見つからない。もう髪振り乱して聞きまくり、近くのbarでバスチケットを購入しいざ乗り込む。いざ乗り込むと日本人がたくさん。中にはローマのシャツを着込んでいる気合の入った方々もいる。こんなに日本人がいるんやったら必死に探さんでもよかった。スタジアムに着いても日本人が沢山。すごいね中田は。おぉー、日の丸も揺れている……隅の方で。席はバックスタンド側のコーナより60000リラ(約3700円)。席を間違えてちょっと内側の方に座っていたら年間チケットを持ったイタリア人おっちゃんに1つずれてと言われる。まぁ誰もけーへんしこのまま座っている。
いよいよメンバー紹介。Antonioli、Zago、Samuel、Mangone、Tommasi、Assunçao、Emerson、Candela、Montella、Batistuta、Delvecchio …… 、あれ? 中田は?その後のベンチ入りメンバーにも中田の名前はなく、今日中田が出場する可能性はなくなった……。こうなってしまうとCafuもTottiもいないしなにか寂しい。じゃあ"Batigol"でも期待しようかな。
試合は今日の暖かさで多分選手たちもぼーっとしてやる気ないんやろうねというようなまったりとした展開。信じられないようなミスが続出。中には本当にひどいミスもある。最初は大声を出してきれていたおっちゃんサポーターたちも途中から呆れるばかり。そのまま前半が終了。隣のおっちゃんが「中田は後半から出るよ」と言ってきたけど、残念ながら今日ベンチ入りしていない……。そして思わず「C'est Roma ?」と言ってしまった。彼は笑っていただけ。よかったしばかれんで。
後半は多少はましになったかな。多少は。Batiはあまり調子が良くないみたい。そしてどうもDelvecchioのプレーが気になって仕方ない。あまり好きなプレーヤーじゃない。フリーキックからSamuelが押しこんで1点。そのまま試合終了。Lecceはわりといいチームに見えたけど。最後のカウンターなんかなかなかやと思うけど。まぁ首位チームと言えどもこんな試合があるということで。やっぱりTottiは偉大なんかな。中田を使っていたら変わっていたと強く思うけど。

Roma-Lecce Stadio Olympico
「Roma-Lecce」 勝つには勝った

          

  
  
2月19日(月)           
せっかくRomaに来たんやからヴァチカンに行きたい。で行く。駅を出発しトレビの泉やパンテオン、ナヴォーナ広場と回りテヴェーレ川を渡りアンジェロ城を横目にヴァチカンに。サンピエトロ寺院。どうでしょう?僕には宗教と言うよりは超巨大権力団体に見えた。ごめんなさい、怒らんといて。誰も傷つけるつもりもないし非難するつもりもない。ただそう僕には思えただけ。けどその巨大な力のおかげで芸術は保護され成長したという一面も認めます。ただヴァチカン博物館には行きたかった。一応行ったけど閉まっていた開館時間が8:45〜13:45ということ。後から後から門の所まで来て引き返す人達がいたからもうちょっと長いことやってくれてもいいかって思ったりした。あーぁ、『最後の審判』…・・。ここだけに限らず月曜日は軒並み美術館が休館。誰も悪くないけどどうせなら見たい作品があったのに。今日泊ればいいんだろうけどもう帰ることにする。夜行のクシェット予約したし。あーぁ、『アポロとダフネ』……。
最後にスペイン広場とメトロを使ってファロ・ロマーノ。それにしてもスペイン広場回りのブランドの店には行列が出来ていて凄かった。まるで行列のできるラーメン屋。行列をしてまで入ろうとは安いんかな?それとも品揃えが違うんかな?興味のない僕には分からんけど『ローマ限定〜』ってのがあったら並ぶかも……。けどそんな店で働いている店員ってのは働いていて面白いんやろうね。入場制限してもお客さんが来てくれる。自分の店の商品を認めた上でお客さんが来てくれるってのはかなり楽しいと思うんやけど。ブランド店なだけにメーカ発注の煩わしさもないやろうし。全てが想像。

Tevere San Pietro Piazza di Spagna
ロムルスとレムスは
ここを流れてきたんかな
超巨大権力 スペイン広場
見物は人口密度

Roma Termini駅19:35発、翌朝9:57にParis Lyon着。RomaからParisまで14時間半。なんとなく陸続きで隣接国同志やから近いような気がするけど結構遠い。コンパートメントはフランスで住んでいるけどイタリア国籍の老夫婦と、ナイジェリア人の若者。この老夫婦が色々と話しかけてくるんやけど、ナイジェリア人はどうもそれが邪魔くさいようでうっとしいねんっていう態度全開。それでも老夫婦は話しを振りまくる。そして話しは彼の息子が25歳の時に道を歩いていて転倒して頭を打ってそのまま死んでしまったという話しになって、若くて健康やと思っていても身体に気をつけないといけないよと悲しそうに語り場がとてつも重くなって誰もその後口を開かない。僕はこの空気に絶えられなくなってトイレを済まし最上段のクシェットに昇る。久しぶりのフランス語だが理解しずらかった。とちゅうGenovaで2人乗ってきて6人コンパートメントクシェットでは初の6人で使用。
          

  
  
2月20日(火)           
Parisを巡ろうかなと思ったけど疲れているのでヤメ。すぐに北駅に行ってTGVを予約して乗る。Lille乗り換えでMonsには2時前に着く。Parisから3時間足らず。近い近い。Monsは寒い。けどそれほどまででもないか。ビアーとMitrailletteを買いこみ部屋に帰りシャワーを浴びる。予想通りGrand-Placeにはスケート場が出来ていてまた例の煩雑とした雰囲気になっていた。
Monsでの激変。煙草の値段が129FBになっている!今まで126FBやったわけやから3FBの値上がり。3FBというと8円くらい。生活を圧迫する。
          

  
  
2月22日(木)           
久しぶりのフランス語。何とも現実的ではない。旅行から帰ってきて思った。旅行中の方がまだ現実的な世界だったと。逆なような気もするけど、旅行中は全てが現実だった。けどMonsに戻ってまだ今の段階では夢のような世界、とっても現実味がない。フランス語と英語さすがに混ざらないけど、言いたいことがまだまだ完璧に表現できん、ストレスが溜まる。旅行中英語を喋っていて、全く感情を表現できひんけどストレスを感じることはなかったのに。フラす語に対しての要求が大きいんかな?はぁー、それにしても旅行中は英語をばんばん話したね、通じる通じひんは別にして。よく聞いた。これで僕の5年間眠りつづけた英語がちょっとは復活したかも。1つ気付いたこと、中高の6年間の英語教育だけで十分旅行は出来るっちゅうこと。部屋を探して場所を聞いて、電車に乗ってご飯食べてと。もちろん、出会った人たちと熱い会話をすることは出来ないけど……。
AnderlechtがチャンピオンズリーグでLeedsにボロ負けした。これで次に進むことはなくなった。後2試合も残して。けどLazioよりはまし。Lazioは4試合してまだ引き分けひとつしかない……。トルコのチームは強い。トルコでTV見ていて思ったけどトルコサッカーはなかなかやる。そしてゲームが面白い。超攻撃偏重サッカー。トルコって1999年末から固定相場制やったって。で、それを廃止するんやって。インフレの嵐、超攻撃国。全く攻めまくる国です。
          

  
  
2月23日(金)           
ひっさしぶりにLuigiに会う。会ってフランス語全く成長しとらんと厳しく言われただけ。うん、確かに。成長する理由が思い当たらない。確かに。
携帯電話の"PrePay Card"を買ってくる。裏側の銀の部分を削ってそこに書いてある数字で登録するわけやけど、上手く削れない。苛々して思いっきりやると銀の部分どころか紙自体が削られる。優しく、優しく。最初の5文字はOK。次の5文字は最初の文字が6か8か区別がつかない。最後の5文字は最初の1文字と最後の2文字。要するに判読不明な箇所が3箇所、その内1文字は完璧に読めない。幸い何度間違えてもプロテクトかかるわけじゃないことが分かったので、地味に考えうるパターンを1つずつ潰していく。地味な作業……。5回6回とやっても「Nous somme désolés. Cette "PrePay Card" n'est plus valide」と冷たい機械の声が……、まぁ諦めないもんやね。けど何度間違えてもOKなら何度も試しているうちにいずれかは有効な番号に辿りつくんじゃ?どんなシステムなんやろ?
          

  
  
2月24日(土)           
雪が降っています。寒いです。多分1,2℃というところでしょう。ギリシアでは23℃を経験したこの身体、はっきり言ってこたえます。外に煙草を買いに出かけましたがそれで限界。
寒さの中サッカーを見に行く。我がチームMons(最近全く愛着なし)、寒さを吹き飛ばすあっつい試合を期待して。
立ち上がりこそいつものように(いつもとは逆に?)ばたばたしたけど、すぐにましに、楽しいサッカーに。まぁ相手が相手だから(Ostendeはケツ2位のチーム)ね。後半開始そうそうにやっと点をとって終わってみれば3−0の快勝。Monsのこんな快勝は初めてじゃないかな?まぁ楽しかった。しっかし寒かった。試合内容はわりと楽しくても寒いもんは寒い。
          

  
  
2月25日(日)           
『2500の言語「絶滅」の危機』という新聞の切抜きをもらった。で、少し思ったどっかの動物愛護団体がいっしょに保護のために動かないんかな、絶滅危惧種なんかに指定してもらって。言語も命ある物、人間にとってかかせない仲間ということでは動物たちといっしょ。そしてまた思った。「動物の殺生は人間の進化(動物実験とか、昨日新聞にでかでかとでていた、減らせ!と)人間の生命の維持のために必要不可欠、避け難いこと」という意見もあるようやから、「言語の淘汰も人類の進化に必要不可欠」という意見も可能かな。そしてまたまた思った。言語保護団体があるとして(実際にあるけど)、それが大きくなればなるほど、国境を越え運動が盛んになればなるほど団体員の意思疎通を図るために共通言語が必要になってくる。共通語で意思疎通を図ることがその母語を捨てることにはならないけど……。それにしても効果的な運動を行うために必要となってくるメディアは「言語絶滅」を促進している大きな要因やと思うし、彼らにしても「画一された西洋文化」を送っている。そしてまたまたまた思った。こうなってくると言語の保護は「伝統主義者」に任せるしかないのかもと。けどそうなると全てが伝統に縛られ恐らく言語そのものの柔軟性が失われる。死んだも同然。ここらへんで話しが分からなくなってくる。それで「もしも」の話しに入り込んでいく。もし人々が自然と共に生きていた時代、その時代から他の言語との接触を避け自分達の言語をずーっと守りつづけたら、恐らく人類の進化はなかったかなと。もしかしたら(もしものもし)、まだ火を使うことを出来ず真っ暗の中で2000年のミレニアムを祝っていたかも。いや、他言語との接触を避けるという仮定なら西暦は存在してないか……。こうなってくるともう神様が悪いとしか言えなくなってくる。彼が人間の言葉をバラバラにしたのが全ての元凶。混乱が生まれ、誤解が生まれ悲劇を引き起こす。そしてその混乱が日本人の外国語コンプレックスを生む。けど、神様は悪くない、人間がバベルの塔を作ろうとしたことが悪い。やっぱり人間が悪い。そして自らの過ちから数千年の時を越え財産となったものを失い始める。皮肉やね。けどこの状況が続いて数千年後に地球の言語が再び1つになったとき、また人間は神に近付こうとするんやろうか。何でこんな事を考えているのか分からなくなってくる。時間だけがある。しかし頭で考えたことがなかなか文字にならない。多分頭の中には考えるためのある言語があるんやと僕は思う。そしてこの言語こそ人類共通の言語やと。もう分からん。誰が守る、僕が守る!かなり危ない……。
気になるトルコの話。トルコが固定相場制を止めるって前に書いたけど、それで起こるインフレが(必ずインフるらしい、何と恐ろしい国)観光客の増加に繋がるらしい。トルコリラの価値が下がることで安くトルコ旅行が出来ると、国の非常事態なのにトルコの観光局がどれだけ観光客が増えると算盤をはじいているところが何と言っても恐ろしい、たくましい。けど旅行客が増えても潤うのは観光客相手に商売をしている奴らだけ、またまたまた一般の真っ当な市民との経済格差が助長される。そりゃ日本語真剣に学ぼうとするね。それだけで豊かな生活を国が全力で保証してくれている状況やからね。怖い怖い。
          

  
  
2月26日(月)           
雪が降っていて寒い。けどBincheのカーニバルを見に行く、せっかくMonsにおるんやし20kmしか離れていなてないんやから行く(かと言っても車のない僕は電車に揺られその20km足らずの距離を1時間以上かける−接続が悪すぎるSNCB)。町に着いても思ったより人の姿が少ない。Grand-Placeに行って人がちらほら。(i)に行って聞く。今日は子供のためのカーニバルということでジル(Gilles)の姿を見ることは出来ない。ちっちゃな音楽隊が出て周りでみんな踊っているのと、caféがどこもディスコと化していること、そして子供たちが仮装して、スプレーで髪を派手に飾って、そしてヨーロッパ中の子供が持っている『一昔前日本にもあった泡のシューって噴き出すスプレー缶』で騒いでいるのが、あぁもう一つ紙ふぶきが待っているのが、祭かなって。とりあえずBincheのビール"la Banchoise"を飲む。そうしているとさっき聞いた(i)の親父が来て3時半からオレンジ撒きやるから、幸せを掴めと言ってくれる(よっぽどジルが見れないって聞いた時僕が切なそうな様子やったんやろね)。けど、帰る。寒いから。電車代もMonsから「Bincheカーニバル特別往復割引」みたいなやつで40%引きの180FB(約470円)やし、気が乗ったら明日も来る。夜、Cogneauさん(そう言えば彼のやっている「日白友好協会」のサイト(http://users.belgacom.net/gc3129731/A.htm)が完成したと1ヶ月ほど前に教えられていた。まだ見てない……。いやちょっと見た(見せられた)。画像がふんだんにあってとっても重い印象が……)にジル踊りを実践してもらって明日行こうかどうか真剣に悩む。それにしても今日は寒い。

Binche Binche2 Binche3
Brand-Place
祭の中心もまだ人はまばら
完全装備CITIBANK
"24 hour banking"……
今日は子供たちのCarnival

部屋に帰ってみると大変驚く。床に水が溜まっている。そう言えば今日の朝断水していて、そんな表示あった事を知らない僕は、故障やと思い全ての蛇口を開けて確かめた。それでヴィデの蛇口を閉めて記憶がない。多分下の部屋も被害大やろうね、怒られるねーと思いながら新聞を引き復旧作業開始。そうしている内に水道工事のおにーちゃんが来て手伝ってくれる。管理人に言われてきたらしい、やっぱりもうばれているか。そうやろね誰かが水止めてくれたわけやから。さっと新聞ひいたのがこうをそうして被害は最小、掃除もすぐ終わる。このおにーちゃんが楽しい人やったし、ベットの下とか掃除しにくい場所も一挙に水拭き終わった感じやし。
          

  
  
2月27日(火)           
Parisに向う。LilleからPris Nordまで「Découverte 12-25」で50%引き、106FF(約1800円)。これは安い、フランスが誇るTGVにこの値段で、しかもParisまで1時間。Mons〜Lille〜Parisのルートで所用2時間半2300円くらい。けど今日新しい事を発見。MonsからParisまで1日1本Thalysが出ているんだけどこのルートなら所用1時間20分、料金が26歳以下の若者割り引きで何と129FF(2100円)。こっちの方が安い……。ただ唯一の問題はMons発が8:27。起きるのが辛いだけ。
今日はParisでいつものように本屋さんを覗いてから、La Défense辺りを探索。うーん、嘘っぽいね。都会嫌いやけどこの地区はなかなか面白かった。CITIBANKも初めてフランスで見たし。いやー、本当に嘘っぽい。

La Défense La Défense 『 France-Allemagne 』
La Défense
絶対嘘っぽい。虚構の世界。
La Défense 2
ちょっと日本みたいって。
『 France-Allemagne 』

激寒。いつもとは趣向を変えてRERのD線でStede de Franceを目指したら辿り着くまでに予想以上の時間がかかってしまって(こっちの方は駅が遠い)、さらには入口に長蛇の列(セキュリティーチェックがうるさい、まぁドイツ戦やし……ちゃんとやってもらわんと)。ぎゅうぎゅうの列のど真ん中にいる時に試合開始予定の20:45が……。皆大ブーイング。それから心なしか列の動きが速くなったような……。席に着いた時(バックスタンド側前列から5列目、いいのかわるいのか。ただわりと高い席なので親子連れがいたり雰囲気は健全、前のほうには騒がず試合を観戦する紳士たちもいる)Dechampsが花束を貰っているところ。それから両国の国歌斉唱。で、試合が始まったのが9時を過ぎてから。まだ入場できてない奴が沢山いるから開始を遅らしたんかな?それにしても夜の9時過ぎてからサッカーの試合が始まるとは……、パリの夜は遅い。気温はますます下がって冷えこんでいきまして。
ドイツのメンバーよく分からない。昔は結構好きなチームだったけど、最近さっぱり。ただ確実なのはBierhoffが出ていない事。あとは動きの鈍いH番、でか過ぎ、そして誰?(彼が後半残り10分くらいでBierhoffと交代) 前半30分くらいにZidaneが完璧なボールコントロールと完璧な左足で先取点。そしてこれが両チーム唯一の得点。フランス勝利。フランスは良い、特にPetit、Vieiraは完璧。穴無し、さらにはZidane(攻撃面では今日はいまいちなような気がした。すっごい単純なミスが何度か。けど結局点をとって試合を決めるんやから凄いんかな)がバンバン守備してドイツは全くチャンスを作れない。特に例のH番、駄目。
ハーフタイムはトイレに長蛇の列。さすがのフランス人も(僕はフランス人は僕の2倍強の大きさの膀胱を持っていると真剣に思っている)この寒さにトイレに行く人が多いちゅうことか。トイレを終え煙草を吸っていると片言の日本語で話しかけられる。フランス人。何度か日本に足をはこんでいると言う。今ベルギーに住んでいてわざわざフランスまでサッカーをみに来た、来月「日本-フランス」がここであるね、と楽しく話をする。話が2002W杯のことに及んだ時、彼がぼそっと呟く。「チッケトで僕と仕事をしないか」って(この時は何故か小声で、しかも英語で−忘れたけど「〜make a business with me〜」って感じで)。僕が「そうやねー、けど難しいんとちゃう」とあしらうと、彼は何も言わずに立ち去っていった。すっごいその瞬間彼の顔は「悪い顔」になった、怖かった……。businessとはあれほどまでに人を「悪い顔」にするもの、かな?
今日はPaisでたよりのともちゃんが旅行中のため、ホテルに泊るのもばかばかしく、その足でStrasbour行きの夜行に乗る。Strasbour行きやからドイツサポーターで一杯かなと思っていたけどそんな事はない。若干、むしろフランスサポーターの方が多い。
          

  
  
2月28日(水)           
朝の4時過ぎにNancy着。眠たい、寒い。待合室に向うと『5:30からしか開きませんよ』との表示。あまりの寒さに茫然としていると駅員が来て、「どこ行く?」って聞かれたから、「Luxembourに」と言うと、「1時間半後」と言って立ち去って行く。はぁーあと1時間半この寒空の下でどうしろとと思っていると、彼が戻って来て駅の扉をあけ、待合室に案内してくれて暖房をつけてくれる。はぁー優しいね、僕のために。しかし違う、続々と電車を待つ人が入ってくる。まぁ僕だけのためじゃなくとも優しいね。
その後、Luxmbourgで1時間。Go-Passが9時以降しか使えないためにArlonで1時間、更にNamurで30分と寒い中接続の悪さに苦しみ、Monsに戻って来た時は12時過ぎ。寒さにやられました。鼻水とまらんし、頭痛いし。部屋に帰って風呂に入って今日はBruxellesにW杯予選「Belgique−St-Marin(サンマリノ)」を見に行くつもりやったんやけど、やめ。寒いから。さらに新聞によると「もう50000枚のチケットが売れ、当日発売は5000枚」と言うことなんで、もしチケットを買えなかったとしたら怖いので。これだけサッカーの試合を見てきて、もしかしたらベルギー代表の試合が見れないかもしれない。次の試合6月2日、どうだか。昼ど真ん中だけど、オヤスミナサイ。
ラジオで試合観戦。10−1! これはもうサッカーではない。弱い者いじめ。多分ベルギー人は圧勝に飢えているんやね、だから人が沢山入ったわけや。だって、「Belgique−St-Marin」何て万人をときめかすようなカードじゃないでしょう? けどちょっと見たかった。ラジオのアナウンサーはしきりに「félicité , félicité」と。そりゃそうでしょう。「至福の時」に違いない。
そう言えばベルギーサッカー協会は予選突破も決まってない内からもう既に2002年のW杯に備えて大分の近くにホテルを予約したとどこかで読んだ。しかもこのサンマリノ戦も消化していないうちに、スコットランド、クロアチアを同じチームに持ちながらどこからその自信。他の国ももう予約しとんのかな。で、なぜ大分か?Lorenzo Staelensが大分トリニータでプレーしているからという嘘のような本当の話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・真剣に風邪ひいた。