4月1日(日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
München 〜 Ljubljana 韓国人男子とスペイン女子のカップル、ドイツ人若者、ドイツ人夫婦、色々な人が周りを過ぎていった。が、一向に気分が盛り上がって来ない。帰ろうかな。おまけにいい加減寒いし。ミュンヘン(München)の駅でザルツブルグ(Zalsburg)−リュブリャーナ(Ljubljana)の切符を買おうとするが車内で買えと言われる。ATMが使えないであろう国々を予想しある程度のドイツマルクを入手。それも50マルクばかりで。
オーストリアを3時間半で通過。Tシャツ1枚になりぽかぽか天気の中、素晴らしい景色を楽しむ。まだスキーいけるらしくスキー客もちらほら。国境の駅(スロヴェニア側の)Jeseciceで20分ほど停まる。パスポートは中を見てくれない。スタンプは?車掌がコンパートメント1部屋ずつ「レストラン!」と言って回っている。行かない。いやーそれにしてもいい天気。電車はとてつもなくまったりと遅い。広軌、電化、複線、線路の状態もよさそうなのに何故?
Ljubljanaは大きくはない、が小奇麗。日曜日で人影はまばらだがちょっと都会を感じさせる。旧ユーゴということでちょっとなめていたが、何の何の先進国(実際2002年にはギリシア、ポルトガルのGMPを越えると見られているらしい。お〜いポルトガル……)。街の綺麗さ、人々の丁寧さは隣国イタリアを凌ぐ。まず信号をみんな待つ、とりあえずソフトクリーム(100SIT、50円ほど)にときめき購入し、食べながら何をしようか考える。天気が素晴らしい。よしホテルを探そう。
ホテルはそんなにない。街中に10軒ほど。で、割りと高い、って言うかかなり高い。ユースは時期的に全滅。プライベートルームは町から遠すぎる。一番安い所に当たってみる。すると6000SIT(約3000円)。う〜ん、インフォメーションで貰ったリストより2000SIT安くはなったけど高いな〜。けど早速妥協。部屋は汚い。何もない。けど広いと。少年自然の家のよう。
街観光よりも今日は天気がいいのでブレッド湖に行くことにする。バスの方が便利らしいけど駅に行ったらちょうど電車があったので電車で。窓口で聞いたら「歩き方」にでていた"Bled Lesce"よりも"Blejsko Jezero"という駅まで直通なのでそっちの方がいいと窓口のおねえさんが言う。分からんけどそうする。列車の車掌に聞いてもOKだということなので。1時間ほどでその"Bled Lesce"に着く。けど"Bled Lesce"ってどう考えてもブレッド湖やと思うんで、車掌に「僕はブレッド湖に行きたいんだ」と主張するも、「大丈夫、まだ」と言うだけ。さらには駅員までも飛んで来て説得される。そして車掌の席の隣に連れて行かれる。怒られた小学生のように目の届く所に置かれた。列車からの景色は絶景。雪を抱く山々が素晴らしい。けどちょっと心配に。しばらくしてJeseciceの駅に着いた時には心配がピークに、そう今朝パスポートコントロールがあった国境の駅。車掌に再び訴えると、また「大丈夫」と。マジで?俺今パスポート持ってないよ。
その後電車は反対に動きだして、安堵。30分後、Ljubljanaを出て1時間45分後、"Blejsko Jezero"駅に到着。眼下には間違いなくブレッド湖が広がる。が予想に負けている。普通の湖……。けど湖畔を歩けば格別、気持ちいい。ファミリーで散策を楽しむ姿も見られ、ちょっとしたリゾート地。湖の国の人々はとても豊か?
帰りはバスで、1時間ちょい(1090SIT、約550円)。レストランに入ることもなくちょっとうろうろして、ビールとパンを購入。ブレッドで買ったオレンジ(6つで300SIT、約150円)と共にホテルの部屋での切ない晩餐。その後、シャワーを浴びて寝る(3000円も払って共同シャワー)。共同シャワーなのでシャンプー無し。石鹸で洗い髪がごわごわ。全然さっぱりしない。切ろうかな思いきって。最後に、この国はものすごく英語が通じる。Bruxelles並。
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4月2日(月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ljubljana 〜 Zagreb 6時半のモーニングコールで起き、朝食を取る。今日はシュコシャン鍾乳洞(Škochanske Jame)に行くつもりだった。けど、朝食(パン、卵、コーヒー)を食べているうちに止めた。ゆっくりこの街を見よう。ゆで卵2つパクってホテルを出る。昨日ドイツマルクで55DMと言われていたけど朝になったら50DMと言われた。どういうことでしょう?
天気は最高!市を見て、城に登る。といっても急な坂道で昇っている最中にまた思いつく。ルーマニア大使館に行こう。Bruxellesでの「VISAは国境で取れる」という言葉を信じていないわけじゃないけどルーマニアのHPで確認したらVISAの国境発給は特別な場合のみ、とでていたので確認しようと。で、インフォメーションで聞くと結構遠い……。みんな街中にあるのにルーマニア大使館……。市内から歩いて4kmほど、40分。途中でスタジアムを見たり、ゆっくりと。
大使館は住宅地のど真ん中。旗があってかろうじて気付くくらい、なかったら絶対分からない。人影がないわけでインターフォンで呼ぶ。すごいね、僕の英語って、一応伝わったようで中からおっちゃんが出てきてくれる。とても恐ろしそうなおっさん。が、実はいい人。どうやら国境でのVISA取得は本当に出来るよう。「EUとアメリカ、カナダ、オーストラリア、日本は特別」と。けど、本に駄目って書いてあるし、HPにも駄目ってあったと言うと、「それは古い情報」と……。そうか。で、黒海の方からの国境の越え方などを教えてもらう。とてつもなくいい人だった。
その後街をぶらぶら。いやー、暖かくなってくるとカフェで休まなくても公園で休めるからいい。本当に気持ちがいい。Zagreb行きの電車が1:10発と聞いていたので駅に行くと、そんな電車はない。僕の聞き間違えで2:10発だということ。マジで……、"thirteen"と"fourteen"を聞き間違えるか、おっちゃん?時間ができたので結局カフェでビール。そんなもん。
Zagrebまで電車で2時間30分ほど。途中4人ほどパスポートコントロール(と税関?)が来たけど、パスポートを手渡したのは1度のみ。後の3回は受け取ってもくれない。かなり無視されているようで……、何故?同じコンパートメントのおじいちゃんに途中でビールを奢ってもらう。色々話しをしたかったが如何せん共通語ナシ。人から貰った飲み物をさくっと飲んではいかんと思うけど、極めて善良そうなおじいちゃんと判断し飲む。信頼したからには睡眠薬が入っていてもいい。あ〜ぁ、旅を繰り返す毎に人を信じる力が衰退していく。寂しい話。けど今回は大丈夫。恐らく今のところ……、この書き方がいやらしい。
ザグレブ、ザグレブ、ザグレブ、ザグレブ、僕の個人的な感想やけどいまいち見物がない、ときめかない街かなと(日が暮れてからの街の様子はきれいだったけど)。てくてく歩いてビールを飲んで、街中にベンチが腐るほど溢れているからそこでゆっくりする。その方がいいかな。唯一驚いたことは街中に"Stella-Artois"の看板が溢れている事。言わずと知れた(知らんやろうけど)ベルギービール。"Ožujsko"というクロアチアビールが500mlで10Kn(約140円)のところ、このベルギービールは13Kn(約190円)、格上。ただバドワイザーとハイネケンは33clで15Kn、特別。
Split行きの夜行を駅で待っていると隣に座っていたおっさんが煙草くれと言ってきた。あげると(煙草は断らない)、色々話しかけてくる。「昨日中国人20人が密入国で捕まった」とか、どうも僕のことを中国人と思っているらしい。そんなん聞いていると「僕は今からイタリアに帰るんだけど、友達が僕の財布をもっていってしまって、帰ってこないんだ」と。う〜ん、いつかどこかで聞いた手口。こいつ人に「英語話せるか?」って聞いてきてこいつ自信がよく話せない、僕よりひどい。なんて奴だ。「ふ〜ん」と言っていると、「煙草サンキュ!」と言って去っていた。なんて奴だ。Splitへ向け22:40夜行は駅を出る(76Kn、そのうち6Knは予約料)。
スロヴェニアの本の話し。「星の王子さまスロヴェニア語版」と「Lonely Planet "Eastern Europe"」を買ったけど前者が3400SIT(約1600円)、後者が4764SIT(約2240円)。高すぎひんかこれ?まぁ「Lonely Planet」は分かるとしても(元々高いし)、何で「星の王子さま」がそんなにする?別にたいした作りでもないんに……。その他の本も含め、この国は本が異様に高い!
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4月3日(火) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Zagreb 〜 Split 〜 Dubrovnik 夜行のコンパートメントは4人。足を伸ばせないコンパートメントは辛い。まぁみんないい人。おっちゃんは煙草くれるし、チョコくれるし、コーラ-くれるし、けどさすがにチョコ、コーラ-は遠慮。全部で何本タバコを貰ったやろ。ベルギー人、フランス人、貰うばっかりじゃなくたまには人にあげなさい、見習って。驚いたことはパスポートチェックがあった事。入国の時あれほどいい加減やったくせに、クロアチア。けど車内は警官がうろうろしていて、まぁ安心なんかな?彼らが信頼出来る人達だったらだけど。
目が覚めるとギリシア風のごつごつとした乾いた光景。夜が開けていく。SplitからDubrovnikまではバス(68Kn、約950円)。強烈な太陽、狭いがまま快適。ただ5時間の行程でトイレ休憩は一回きり。やっぱりバスは危険。途中の光景は不思議の一言。何とも不思議、見たことのない光景の連続。海岸線を走るのでやたら時間がかかる。かなり高い絶壁の道、かなりヤバイ。そこでも追越するんやから……、ポルトガルの事故も他人事じゃない。途中5kmほどボスニアの領土を通る。が、チェックは何もなし。けどしばらくしてクロアチア国内なのにパスポートチェック、何故?
Dubrovnikに着く。バスステーションは人で溢れ返っている。プライベートルームの客引きが早速来る。とりあえず断って他の人が来るのを待つが……、来ない。あれ?客引きが群がるんじゃないの、ここ?Splitでさえ4、5人に声かけられたのに、仕方ないので最初のおばチャンと交渉。「Lonely Planet」や「歩き方」の情報で恐らく140Kn(約1960円)ぐらいと予想していたけど、一声目が「100Kn(約1400円)」。うん、デフレ? Split-Dubrovnik間のバス料金も「歩き方」の情報より安かったし……。とりあえず部屋を見せてもらう。バスターミナルから歩いて10分と言うことだけど、そこはさすがに彼女達。真意なわけがない。ざっと徒歩20分。さらにそれは旧市街(この街の目玉)から逆方向。時間もまだ早いし、といということで割り引き交渉。が、難航。ちなみに彼女は一応英語を話す、「Me going Sarajevo 15 years before.」という感じの、40、50代の老女。
部屋は全くもって素晴らしい、文句なし。これで100Knならいいか。遠い事なんて関係ないから。決定。ついでに40Kn(約560円)の夕食をつけてもらう(よう考えるとコレは高い、過ぎる)。このおばちゃんの言う事は2転3転し真実味がない。兄弟・家族がたくさんでてくるし。男は皆戦争で死んでいる……。姉妹がSarajevoプライベートルームをやっているとのこと。これはどうも真実らしい。名刺を暮れ写真を見せてくれたから(適当にSarajevoに行ったら連絡すると言っておいた)。
Dubrovnikの街もまた素晴らしい。ここは"超"有名観光地(ただ今日はそんなに観光客がいなかった、だけどそれでも)。観光地は概して好きじゃないんだけど(と言いながら観光地巡りばかりしているけど)、ここはそれを差し引いてもよい。天気もよい。ゆっくりゆっくりと過ごす。旧市街の喧騒を離れたカフェでビールを飲み、海を見ながらベンチで休む。至極。悔やまれる事は山に登ってみたかったんだけど、両替の時にお姉ちゃんに聞いたら「安全な道は1本。それを外れると地雷がまだあるので危険。その道も分かりにくから、やめた方がいい」と言われる。止めましょう。止めましょう。後一つ、旧市街を囲む城壁を歩けなかった事。行った時にはもう閉まっていた。残念。ぼ〜っとして4時間を過ごす。空っぽになった。
ただ旧市街から宿泊先までの4km程。上り下りがあって歩くと40分はかかる。7時約束の夕食にあわせて帰る。ドラゴンボールを見ながら(悟空とクリリンが亀仙人の所で修行をしていた)、トンカツ、キャベツのどうにかしたもの(?)、サラダ、パンを食す。満足だがこれで40Knは極高。街で『シーフードリゾット50Kn」を我慢したのに……、そっちの方が何倍良かったか……。
夜は明日の行動で悩む。当初Pločaまで行ってそこから99年に運行を再開したばかりの列車に乗ってMostarで一泊と考えていたんやけど、直通バスでSarajevoまで行こうかなと。思い悩む……。結論でず、とりあえず明日早く起きることに。
最後に2つ。1つめ:生まれてはじめて金縛りにあった。本当に怖かった。2つ目:お金を念のために色々分散させてもってたんやけど、数えてみると150DM行方不明。どこ?どこにどれだけしまったか全く覚えていないので、どこかに埋もれているのか、パクられたのか判断出来ん。ただちょっとブルーになったのは確か。ベルギーに戻った頃にひょいと姿を表すような気もするが……。どこやねん。あーぁ、もう分散するのやめた。
あぁ!もう1つ。プライベートルームのおばちゃんはちょっとボケている。コーヒーを作っているのを忘れたり、砂糖のかわりに塩入りのコーヒーを出したりと。「Salt ?」と聞くと、「Why saying ?」と悲しい顔で言われた。
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4月4日(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Dubrovnik 〜 Sarajevo 6時に起こしてもらい、トルココーヒーを飲み(今回は塩入じゃない)家を出る。バスターミナルまで送ってくれる。決めた、バスで直接Sarajevoまでいく。で、1日1本の直通バス、8:00発。料金は166Kn(約2320円)、思ったより高い。荷物をバスの腹に乗っけるのに10Kn(約140円)とられるも、おばちゃんが抗議してくれて2Knかえってくる。実際は8Knということらしい。よくもしゃあしゃあとこの車掌。ただ車掌と仲よくしときたいので、こっちから積極的に近付く。タバコをあげ色々話しかける。英語出来ないけどまぁ笑顔が戻った。
パスポートコントロールはえらく簡単。ぽんとスタンプを押して終わり。それもいい加減なので半分くらいしか押せてない。風景は最高。川を挟んで走るレール。あ〜ぁ、やっぱり鉄道にすればよかった。100万倍後悔。途中Mostarに停まったけど、いたく平和な感じ。鉄道の方がトンネル、橋梁とを駆使しよりダイレクトに走っている感じ。十分な施設やと思うし、もったいないもっと電車を走らせればいいのに(現在Sarajevoまでの直通は1本のみ。それも夜の9時過ぎにSarajevoに着く便のみ)。
トラブル発生。バスの調子がよくない。ギアが上手く入らないらしい(多分)。トイレ休憩で車掌がバスの下に入ってごそごそしていたけど、Sarajevoに着く直前でバスは止まる。そして車掌が何か言ってみんなバスから降りる。分からんのでおろおろしていると、車掌が来て後ろに停まっているバスに乗り換えろとジェスチャー。あ〜ぁ、なるほど。(超)おんぼろに乗り換え14:15Sarajevo着。来る途中の道のりはちょっと秘境ムードやってんけど、盆地の中にまま大きな都市。それでもこの街が、こんな山の中に位置しながらたびたび歴氏の舞台に顔を出してきたってのは疑問だね。
Sarajevoまでの道のりで(得にMostar辺りから)、廃墟になっている建物や道路の壁、橋げたといったところに『ZA HARISA』という文字がずっと書いてあった。これは何を意味するんでしょう?建設会社の名前?政治的主張?それとも単なる悪戯?分からない。ちなみに"ZA"は黄色、"HARISA"は青色で書かれていた。
しばらくバスターミナルをうろうろしてみたけど、誰も客引きが来ない。困ったな。昨日のおばちゃんの姉妹とやらの所に電話しようかな。25DM(約1410円)って言っていたし……、ただSR側(セルビア人共和国:セルビア人達が住んでいる地域)のバスターミナルの近くってのが難点。遠すぎる。遠いでしょう。とりあえず旧市街のトゥーリスト・インフォメーションを尋ねることにする。
けど荷物をもって旧市街をうろうろしていると、1人のおっさんが話しかけてきた。「Do you need a room ?」って。最初30DM(約1690円)って言われたから25DMくらいにはなるかなと思って「高い!」って言ったら、あっさりと20DM(約1130円)にしてくれた……。おいおい。すぐに部屋を見に行くことに。トラムに乗って来た道を逆戻り、サッカー場近くのHrasnoという所(紛争中は最前線だった所)、旧市街から4km程かな。部屋はマンションの一室でベットはソファー(ソファーベットではない)、美しくなない。汚い、むしろ。まぁ20DMやから手を打とう。コーヒーをいただいて街へ出る。
それにしても街には兵士がゴロゴロいる。特別な存在ではなく、溶け込んでいる。まだいる必要があるってことか。SFORやUN(一つ面白かったのはイタリア人兵士達(それぞれの国旗を付けているのでどこの国の兵士か分かる)が一般人に混じってカフェで騒いでいた。やっぱり彼らは噂に違わぬ陽気な国民)。普通の街。何と言っても若者が普通。西洋となんら変化なし。まぁ色々感じる光景も見たけど、それは書かない。
9時過ぎには帰る。間違って1つ前のマンションに入ろうとしたら、ごっつい男に「No!」と止められる。いやここやねんと住所を見せると周りにいた人が集まってきた。1人の男が僕に何かを言って来た時、ごつい男は思いっきりその男を殴り倒した。そして僕に「No problem.」と。恐らく、想像やけど、ごつい男の方はこのマンションの用心棒的な人で、殴られた男の方はただそこら辺にいるおっさんで日本人をちょっとからかおうとしたんじゃないかな。で、「いらんこと言うな」ってことじゃないかな。とにかくごっつい男に守ってもらったような気がする。その後も丁寧に「もう1つ裏の建物だ」と教えてくれたし。多分ごついけどいい人、な筈。
部屋に帰るとおっさんが(この部屋の持ち主)髭を剃ってお出かけ準備。そしてどっか出かけて行く。このおっさんがなかなか英語を話す。で、すごく気がきく。優しさ上に少し怖い。寝よ寝よ。今日は支出かなり少ないと思う。けど『ボスニア・ヘルツェゴビナ』応援マフラーを購入した。最初20KMが結局は、ほんの数10秒で10KM(約560円)まで下がった。本当はいくらやねん?まだ下がったんかな?
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4月5日(木) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Sarajevo 〜 Beograd 朝7時に起き、コーヒーをいただきバス停まで送ってもらう。おっちゃんは(やっぱりリ?)いい奴だった。電話でバスの時刻と料金を聞いてくれた。最後に大きなちゅーで(コレはいらん)お別れ。スナイパー通りのバス停から10分ちょいでRS側のバス停近くのドブリニアへ。1.2KM(約70円)。そこからは歩いてFD側(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦(Federation):クロアチア・スリナム人が住む地域)とRS側(セルビア人共和国(Republika Srpska):セルビア人が住む地域)の「見えない」境界を越える。確かに見えなくてどこが境界か分からん、そんなん聞けんし……。200mほど行ったらRS側のバス停があった。ちなみにSarajevo市内を走っているバスは日本が送ったという黄色のバス。京都市バスよりいいかも。運転手も丁寧やし。ただ車体に"Japan"のステッカー、車内にも"Japan"のステッカー、やりすぎちゃう?
ベオグラード(Beograd)まで何と18.5KM(約1040円)。おっちゃんが言っていたとおりRS側はより貧しく、物価も安いよう。けどチケット買うのも、何をするにもいたって人は親切。またまた天気が良く最高です。1個0.2KM(約10円)ほどのパンを2つ買って朝食完了。久々に朝食を食べた。やってきたバスはおんぼろバス。大丈夫会な?ただ席は新しいバスよりも広くてよしだけど。
45分程でパレ(Pale、Рале:RS側に入ると表示がキリル文字表記になる)に。おぉ、聞いたことあるある。紛争の時のRSの拠点。軍事都市かと思えば何のことはない小さな農村。何故かバスは30分ほど停車。山をぐるぐる登ったり降りたり、いつ着くのでしょうか?乗合バスのようで一々小さな村を巡る。首都同士を結ぶバスとは到底思えない。ベオグラード(Beograd、Београд)着いたのがちょうど18:00。8時間15分の超長旅になったわけです、直線距離では250km足らずの距離を。その長旅の間にトイレ休憩2回。切ない、さすがに疲れた。途中でドナウ河と初対面。
Beogradに着いて早速両替をしたいが、両替所は無く銀行は閉まっている。駅にある両替所も閉まっている。闇両替のおっさんが声をかけてくるので、一応3人に聞くとみんな決まって「1400」と書いてくる。これが相場か?単純計算で1DIN(ユーゴ・ノヴィ・ディナール)=2円ぐらい。これで「歩き方」にでている価値(99年時点)よりも4.5分の1くらいになっている。分からない。経済封鎖、超インフレ。これで本当に正しいのかどうか全く分からない。駅のインフォメーションで尋ねたら、おっさんが「俺がやったる」と言って(!)、またまた「1400」を提示。どれだけぼられているのか分からんけど、多分公定レートよりいいでしょうということで。1400DINゲット。ぴんぴんの1000DIN札、14枚しっかりと。切符かって、再両替なんてどうせ無理やろうから今日は豪華に飯でも食おう、レストランでも入って。日本円で2800円ほどある(はずな)わけやし、Westeelsもあるし(ヨーロッパ全土で営業を展開する旅行会社。割引切符も販売していて、26歳以下ならパスポート提示するだけで20〜40%割引の切符が買える。ちなみにMonsにもあって駅の窓口でその26歳以下のチケットが買える。フランスに行く際は必ず使っている)、切符買ってもかなり金が余ること間違いなしとよんだわけだ。
Westeels窓口のやる気のないおばちゃんに聞いたら「1400DIN」と書いてくる。嘘?嘘や〜ん。2800円ぐらいやで、高いって。無論まけてくれるわけもなく一発で、気持ちよくぴったりと、全財産をはたく。料金の内訳は乗車券918DIN(約1840円、これでも20%引き)!、予約料金(多分特急料金も)が530DIN(約1060円)。何で?計1448DIN。あぁこれでも48DINはまけてくれたわけか。それでも2800円。たった517kmやで。寝台ちゃうで……。絶対ユーゴ政府の陰謀やね。外国人から思いっきり金とったろうという。納得いかん。レストランの夢が消え、一挙に一文なしに。
何も食べれなくなった。荷物の中にあるのはチョコちょっととコーラー。ふぅ〜、とりあえず街観察。物価調査。2時間ほど歩いて帰りに大いに迷った結果、マルボロ80DIN(約160円)、コーラー50clが40DIN(約80円)、ピザ一切20DIN(約40円)。高くないかこれ、やっぱり両替のレートがかなり悪かったんちゃうかと感じた。街中はいたって普通。ただ露天がすさまじく混沌とした様子はある。この時間はまだ危なくはなさそう。ATMはまったく無い(あっても使えない)、両替も夜は出来ない。経済封鎖。当然と言えば当然か。苦しいはず。
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4月6日(金) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Beograd 〜 Skopje 〜 Ohrid 気のいい大きな声で喋るおっさん達はNičで降り、残りの1人も4時半ぐらいに下車していった。コンパートメントに1人残される。こうなってくると逆に眠れない。はぁ〜、計2時間くらいは寝たのかな、断続的に。暗闇の中か流れて行く景色を眺めているのはよい。こう見るといたって平和なのにね。
4:25、ユーゴ側国境の駅"Presévo"着。パスポートコントロールは1人来てパスポートをちらっと見て終わり。スタンプも無し。ユーゴ出国は厳しいと聞いていたので万全の準備をしていたし(HPには入国の際に外貨申請をせなあかんって書いてあったけど、小額だからしていなかった。それを問われることもなし)んなもんか。45分ほど停車してすぐに国境を越え、今度はマケドニア側の"Tabanovci"に5:40着。うっすらと空が白じんできた。こっちもチェックは簡単「ヤパンスカ?(こんなん多分)」って聞かれて「うん」と答えるとぽんとスタンプを押して終。んなもんか。あぁパスポート番号は控えられた。
スコピエ(Skopje、Скопj е)の駅に降り立つと集まるタクシーの客引き、乗らんちゅうねん。トルコでの決り文句「前に一度会ったよね、覚えてない?」って手口を久しぶりに聞けた。けどもう飽きた。バスステーションで両替とオフリド(Ohrid、Охрид)のチケット。そして久々の食事。うろうろしているとソフィア行きの夜行バスの存在を発見。値段を聞くと640DIN(約1090円)。安い。オフリド日帰りで今日はソフィアに向けマケドニアを脱出することにしよう。即買い。本当はOhridでいっぱくして、そこからBitolaに行き、16km南に進みギリシアとの国境を徒歩で越え、それからアルバニアと考えていたけど、止めた。昨日おっちゃんも言っていた(ジェスチャーで)「アルバニア人、狂っている、絶対行くな、撃たれる」と。ヨーロッパでもっとも貧しいと言われるアルバニア、やっぱり怖い。
Ohridまで2時間45分のバスの旅。途中今話題の"Tetovo"を通る。途中幾台ものSFORの輸送車(?)を追い抜いていく。やっぱり緊張はあるんやね。何の事はない。Ohridは平和そのもの。
素晴らしい街。人は親切だしホテルも安いという話しだし。と待って次の日ギリシアに入ろうかな。素晴らしい湖を眺めながら頭の中では必死で銭勘定。もうソフィアまでのチケット買っている、1000円ちょい。捨て難いな。金ないし。ないわけじゃないけど50DM両替してその残りがもうない。よし決めた。Skopjeに戻る。ただ一度Bitolaに行ってそこから鉄道でSkopjeに行くことにしよう。同じ路線で帰るのは面白くない。最後のあがき。
全く感じのいい人達だ。向こうから陽気に話しかけてくる。もちろん商売抜きで。街もいいし、天気もいい。歩いてぐるっと回って1時間30分くらい。ただ絶対迷うから2時間。後は湖沿いのベンチで日を浴びるのみ。それでも1日ゆっくりつぶせる。むしろそのほうがいい。通過するだけの僕の旅。
Bitolaまで1時間45分、150DN(約250円)。BitolaからSkopjeまで電車で4時間ほどかかるが203.5DIN(約350円)。安い。ただ街はあまり何もない。「Lonely Planet」が勧めていた遺跡には行かなかった。タクシーの運ちゃんに国境までナンボか一応聞いたら20DM。恐らく人を選んで交渉すれば10〜15DMといったところかな。たった16kmやし。人はいいしヒッチも危なくないと思う。今はこの国ちょっとだけ危ないんかも知れんけど、少なくとも南の方は大丈夫だと感じた。"超"お勧めの国。
気付いた事:ヨーロッパの国々はアルファベット1文字か2文字で国を表しているんやけど(例えばベルギーなら"B"、フランスなら"F"といった感じで)、ここマケドニアは"MK"。車にもみんなステッカーを貼っているから(義務ではないらしい)通る車がみんな「MKタクシー」に見えてしょうがなかった。ただそれだけ。
夜、お金が無くなったので5DM(約280円)を緊急両替。5DMコインをぽんと出したんやけど両替してくれた。こんなことも出来るんやね。150DINになった。おかげで飲み物と食べ物を購入することが出来た。
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4月7日(土) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Skopje 〜 Sofia 出発して2時間程で、つまりは午前0時、バスは国境へ着く。バスは狭く(最狭)でがんがん音楽がかかり(ここはトルコか?)、ただでさえ狭いのに前のおばちゃんが最大限に席を倒す……。ゆうに1時間は待ち、ちらっとパスポートを見に来てマケドニア出国。その次、ブルガリア入国。夜になり雨も降り出してむちゃむちゃ寒くなってきた。その寒さの中バスから降ろされパスポート片手に1列にラインの上に並ばされる。小学校の整列のように。ただパスポートを集めるだけなのに……。それがすんだと思ったら税関の検査で再びバスから降ろされ整列。今度は荷物全部持って、勘弁して……、眠いし寒いし。かといって荷物の中をチェックするわけでもなく、嫌がらせ。そんなわけで初めて国境らしい(?)国境を経験。
ソフィア(Sofia、София)6:45着。1時間時計を早めたのでまだ空が明けきってない。寒い。様々な噂により、ブルガリアは怖い……。びびっている。神経ぴりぴり。そそくさと駅へ向う。バスターミナルから駅の地下道はすさまじい。ソフィアってかなり都会のイメージやったんやけど……、混沌。
僕がブルガリアをびびる訳:『現在のブルガリアは“素朴”とのイメージからは、ほど遠くなっており、通貨の暴落やそれを上回る超インフレ等のため、経済建て直しの見通しはたっておらず、国民感情は荒廃しており、僅かな金銭目当てにも犯罪に走るケースが多くなっています』 これは外務省のサイトから。外務省やで、ここまで書くんやからいい加減に怖い。特に『…国民感情は荒廃しており…』。ここまで言われると真剣にびびる。震える。その他色々ブルガリアについてはいい噂を聞かない。
両替。50DM→47.5DM。ドイツマルクと等価やって話しやのに……。けど物価が安い。まじで。マルボロ2.6Leva(約150円)、荷物預り0.8Leva(約50円)、パン4つ1.5Leva(約80円)など……。一応今日の夜行の予約もしておくVarnaまで13Leva(約730円)。窓口は長蛇の列も、それでもパリ北駅程ではない。窓口のおばちゃんもいたって愛想がいい(実は1度違う窓口に並んだ。その時も優しく教えてくれた。全てキリル文字で英語ナシ。さらには通じない)。
それでもブルガリアへの恐怖心はなかなかとれないので、トラム・バス1日券(2Leva、約110円)を買い、出来るだけ街中を歩かないように。かなりびびっている。とりあえず、オフチャ・クペル・バスターミナルへ。「リラの僧院」。
何故「リラの僧院」か?分からない。これは社会の便覧で出てきたわけでなく、僕の「見るリスト」にも入ってなかった。けど名前がいい。"リラ"、そして"僧院"、スタンダールみたい。旅情をかきたてる。
D番トラムのおばちゃん運転手。おんぼろトラム。みんなの機嫌のようにドアは激しい音を立てて荒々しく閉まる。けど、おばちゃん運転手は優しくバスターミナルに着いたら教えてくれる。僕は寝ていた。感謝。バスターミナルに着いてからが一苦労。どこでチケット、何時のバス、全く分からない。表示は全部ブルガリア語。窓口を手あたり次第あたって、言語的コミュニケーションはないままどうにか「10:20発、チケットは運転手から」という情報を入手。ただ定かじゃない。街中のインフォメーションに行って聞いてこようかと思ったが、このまま1時間半くらいバスが来るのひたすら待つことにする。賭ける。ようやく暖かくなってきた。ベンチの隣のおばちゃんがずっと話しかけてくる。全部ブルガリア語で。僕は時計を腕にしないんだけど、ポケットの中に入れていると盗られるから腕にしろと怒られる。その他本なども一々リュックにしまってちゃんとチャックしろと……、恐らくそう言われた。
途中のリラ村まで2時間。10分の乗り継ぎで僧院まで20分。感想:正門で、おぉすげー→まじでー→なんやこれ→いやけど……→いやいや→あまぁね。一回りしてみると、まださっき乗ってきたバスが停まっている。それもSofia行きとなっている。こりゃいい。時間を聞くと14:20分。後20分。もう1度見てくる。結局1時間20分の滞在でリラを後に。2時間も待ってバスに乗ってきたのに……。
日のあるうち(は?)Sofiaは極めて平和な街。夜の8時半過ぎに駅へ向う。しかし駅へと続くはずの地下道がテープで閉鎖。道を渡っても駅自体が閉鎖。何故?電気節約?いろいろな方向から攻めても駄目。唯一開いていた(外にね)窓口で尋ねると「BOMB」で閉鎖。うそ!?で、夜行は走ると尋ねたらそれはOKと。ふ〜ん、いやいや、鞄預けてあんねん。どうなる?聞いたら「impossible」と。お〜い、まったくまじでー。どうすんねん。ハプニング!中にいる警官に聞くと「こっそり行って取ってこい」と。いやー、あり難い。こっそり言って盗ってくる。ありがたいありがたい。無地荷物を回収する。帰りにその警官に「Thank you.」を言うと、「特別に許可してやったんやからコーヒー奢れよ」とあくまでフレンドリーに。でた、公的賄賂攻撃。とうとうきた。けどいいよ。本当にあり難いし、コーヒー一杯0.5Leva(約30円)やし、2人で60円。おごる、おごる。いやーあまりにもあり難いので2Levaあげる。よかったいい加減ブルガリアで。けど爆弾騒動にしてはあまり深刻な様子はない。そう言えば、荷物預りのおばちゃんも普通に駅の構内にいたし、トイレも普通に営業していたし。ただ爆弾は本当らしい。誰に聞いてもそういう。多分みんな慣れているんかな。
つづいて。駅は最小限の明かりがついているだけで電車がどのホームから出るのか分からない。近くにいた駅員に聞く。親切にホームまで連れて行ってくれて、席までちゃんと教えてくれる。途中にこっちの荷物を運ぼうとするし、わざわざ自分は駅員だってID見せるし、これはまた金欲しいんだなと見当をつけていた。けど助かったので小銭0.5Levaあげる。すると顔が変わり(そうそれはイタリアはナポリのあのタクシーの運ちゃんのように)、「2DM出せ」と言ってくる。俺はこれだけしたったろと。殺す。0.5Levaコインを取り上げる。まだぶつぶつ言っている。きれる。怒ってみる。帰っていくところを呼びとめて0.5Levaコインをやる。すると受け取る。悪びれずもせず満面の笑みで。恐るべしブルガリア。今度は車掌ともバトルかな?悪名高きブルガリア車掌。
電車に乗ってからも終始「金くれー」っておっさんが回ってくるし、本当におちおちできひん国やね。気抜く暇なし。このたびずっと緊張している。今に神経をやられる。
車掌は特に問題なし。コンパートメントも満員ではあるが、前のバッジョにのお兄さんはかっこいいし、英語話せるし、とっても良い。ただ寒い。夜になって猛烈に寒くなってきた。バッジョが何度車掌に暖房いれろと言いに行っても入らない。ブルガリア……。ずっと震えている、で、ようやく眠りについたと思ったらパスポートチェック。午前3時、意味が分からん。警察に外に来いって呼ばれたので行こうとすると、先のバッジョが何やら言ってくれて行かんでいいことに。何?ってきいたら「he wants money.」と。うぉー、さっきの物乞いのおっさんの時と一緒のセリフ。
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4月8日(日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Varna(Bulgaria) 〜 Constanţa(Romania) 定刻に着く。寒い。体が動かないのでとりあえず自販機でコーヒー0.2Leva(約10円……)。体が暖まってくると黒海を見に行く。歩いてすぐ。眼前にはトルコではついぞ見られなかった黒海(イスタンブールのは違うね?)。「うぉー、黒くねー」。街はリゾート地風味。ちょっとVichyにも似た感じ。思い出した。
北へ向うため、国境を越えるために、バスターミナルへ向う「歩き方」には地図がないし、「Lonely Planet」ではそのターミナルは地図外、矢印があるだけ。街の人に聞いても「あっちの方に行け」と言うのが精いっぱい。どれだけ行くんかなって心配になっていると問題発生。腹が猛烈に痛い。そう言えばスロヴェニアから大便を……。旅に出ると便秘になる僕。今回は特にね。紙切れ1枚もらってもさー、それにあんな汚い所で、する気にならんちゅうねん。とにかく今はしゃれにならん。このままでは旅続行不可能となる。精神的に傷付く。周りの店は、しまっている……。おぉ"M"の看板が!光明が、あと500m……。開いててよかったマクドナルド。もちろんマクドのトイレはきれい。トイレットペーパーもふんだんにある。最悪の事態は回避。まぁついでなのでフィレオフィッシュセット(4.3Leva、約240円)を食べ、英語のいける店員にバスターミナルの場所を聞く。すぐ近く500mと。ふぅ〜、開いててよかったマクドナルド、神様マクド。
バスターミナルについて「Durankulak(国境に近いブルガリアの町)に行きたい」と紙を見せると、おばちゃんが「走れー!」って。どこにか分からぬまま走るがバスの姿なぞない。もう行ってしまった後。あ〜ぁ、うんこのせいや。あらためてShabla(Щабла)までの切符を購入。2時間ちょい待ち。腹痛い。
本当にブルガリア人は「YES」の時に首を横に振る。何度も「No?」と聞き直した。慣れない。Shablaまで1時間40分。すぐに接続して国境まで40分。わりとあっさり。ただこのバス途中から客が僕一人になって多少怖かった。運転手ごついし、周りは見渡す限りの畑やし。この接続の10分間のバスステーションの外で座って待っていた。するとパトカーがやって来て警察と名乗る男がパスポート見せろと言ってきた。別に何ごともなかったんやけど、恐らく誰かが通報したんやろうね。変なアジア人がいると。
国境(ルーマニア側の名前で"Varna Veche")の目の前でバスを降りて徒歩で向う。ブルガリア側はすぐに突破。ルーマニア側には既に車が2台待っている。パスポート見せて、手を洗わされて、靴の裏を洗わされて(なんかの病気の予防?)、小屋の中で「宣誓書」を書かされる。これがVISA代わりになるとのこと。別に大したことなく「禁止されている動物や、植物を持ちこみません」といったことの宣誓。英語とフランス語版があった。別に重々しい雰囲気じゃなく、パソコンが壊れていてちょっと手続きが遅れるからというので、一人の検察官と喋って待つ。フランス語しゃべれないけど理解はしてくれる。新聞見せてくれたり、ハジの話しをしたり。まぁともかくVISAが国境で取れる(必要無い?)のは本当だった。
その次が長かった。ちょっと雰囲気の怖いおっさんと一体一で面接。色々お決まりの事を訊かれまくる。態度が偉そうでむかつく。どうも僕の所持金の少なさが納得いかないらしい。だからそんな金使う予定ないんやって。それに最悪カードがある知って何度説明しても「どこへ行く」、「何日間いる」としつこい。もううっとうしい。僕ももう心ここになしで淡々と答え続ける。10$を両替して(大量の札束になった……)、すぐ前にあるバス停に向う。
バスは一時間待ち。待っているとタクシーのおっちゃんが来る。待つの面倒なんでタクシー乗ろう。金額を聞いたらMangariaまで60000Lei(約270円)。1台だけの客待ちタクシーに乗りこむ。今にも壊れそうなおんぼろタクシーとおんぼろじいさん。僕がMangariaまでとけちなことを言うので(国境から10kmほどの町)、このじいさんはどうしてもConstanţaまで連れて行きたいらしく、しつこい。「No」と一言言って後は相手にしない。すると今度はConstanţaまでの乗合バスを紹介したると言ってくる。うるさい。次はMangariaのホテルを紹介してやると。もう相手しない。MangariaからConstanţaまでは電車。ゆっくりゆっくり黒海を見ながら進む。
Constanţa葉今回尋ねて北町の中でもっとも危険な雰囲気。街中は廃墟で溢れ、子供たちで溢れている。人々の顔も悪い。街を歩くと子供たちにさくさく金をせがまれる。さらには夜の女性たち……。ご飯食べに行こう、踊りに行こうと散々付きまとわれる。う〜ん、これだけもてればいいのに。怖いし……、かわいくないし……。もううっとうしくてやってられん。ケバブとビールを買ってホテルに戻る。
ホテルは2つ星。最初駄目っていわれたけど、今日は日曜日で両替できんしドイツマルクで払いたいと散々頼み込んだらOKしてくれた。ロビーにはガードマンらしき男がいる。廊下では夜遅くまで人が喋っている。ホテルの中でさえ安心できない。高い金払っとんのに。
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4月9日(月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Constanţa 〜 Sulina 朝6時のモーニングコール。電話があるのにノックしに来てくれる。電話が使えないということか。すぐ用意して出発。トロリーバス(このバスの中で初めての検札にあう。普通に座っていたおばちゃんがむくっと立ち上がって車内を回る。それを見て運転手から慌てて切符を買う人多数)で北へちょっと、バスターミナルへ。聞くとすぐに便がある。7:30。値段は65000Lei(約290円)、まぁー安い。けどバスは普通のワゴン。それもきゅうきゅう。それにごっついスピードを出す。きついきつい。すぐに(それでも1時間40分)ドナウデルタの玄関口Tulceaに着いた。
ひとまずはおいしそうな香りに誘われて朝ご飯。肉団子(?)5ヶとビール。ちょっとテラスは寒い。Sulinaへのフェリーは13:30発、10500Lei(約470円)。11:30からしかチケットを発売しないらしい。街へ行こうと思っていると1人の若者に声をかけられる。Sulinaに住んでいて一泊100000レイ(約450円)で泊めてくれるらしい。本当はちょっと1人になりたい気分やってんけど、町をいろいろ案内してくれた。両替もすます(銀行はなぜだか駄目と言われた)。彼は19歳、Tulceaの美術学校に行っているとのこと。
Sulinaへのフェリーはまたまた最高。彼の友達やスペイン人旅行者たちと知り合う。そこからビールを飲んで、かんかん飲んで、忘れた……。スペイン人たちがCrişanで降りていった後は、太陽の下で昼寝。なんと無用心な。
ヨーロッパの最果て、ちゅうかドナウの果てを見た。一言でいったら何もない町。村。まぁドナウ川に沈んでいく太陽を見れただけでよかったんやけど、泊めてもらったその若者とちょっと金銭をめぐるトラブル。気持ちがよくない。怒っています。50000Leiの問題なんやけど、200円ちょっとの話ではあるんやけど、きっちりとせいひんことには気が収まらない。本当に人を信じるのが馬鹿々々しくなってくるね。いろいろ楽しかったから今晩barにいって奢ったろうと思っていたけどやめ。気分が悪い。
あまり気持ちのよくない中で夕飯(夕飯も頼んでいた)。ルーマニア郷土料理か?フリットと魚のミンチみたいの、目玉焼き、そして怪しげなワインとやら。たった1人で食べさせられて。「魚料理」ということで50000Lei払ったのに、確かに魚は食った、なんかハーリングのような酢漬け。確かにスープは飲んだ。約束とおり。でもね……。 そそくさと一人になって考えた。200円とかそこらで目くじら立てて細かい計算をしている自分が嫌になった。彼らは知らん人を家に500円足らずで泊めなあかん生活をしている(間違いなく生活のため)。このデジタル全盛の時代にCDなんてものはなく、ラジカセだってぼろぼろのやつで音楽を聞いている生活。洗面上に水が流れないそんな生活をしている人たちと200円で争うなんて寂しいことなのかなと。人を騙して金を得な生きていけない人たち相手にナンボ負けろとか争うのはさもいことなんかなと。プライベートルーム、確かにルーマニア人の普通の(田舎は特に?)生活が垣間見れていいのかもしれんけど、日本人の感覚では信じられない光景を目にしてしまう。本当にひどい。ひどいという言葉はおかしいかな。本当に違う。重い夜。彼らだって伊達や酔狂で自分の家の部屋を貸している訳じゃないということ。音の割れた、そして少し間延びしたニルヴァーナを聞きながら眠る。
彼の友達のアレクサンドル(彼はとてもいい奴。17歳!に聞いた話:ルーマニアの若者は職がないので仕事を探しに外国へ出て行くらしい。そして最も数が多いのはトルコらしい。まだトルコの方がルーマニアよりはいいということ。あの経済ぼろぼろのトルコがやで……。
あとルーマニアでは今学校でどの外国語も必修ではないらしい。けどみんな英語が喋れる。テレビでみんな覚えるということ。あとひとつ:このヨーロッパ東の果てにも「極真空手」は浸透している。すごい。
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4月10日(火) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Sulina 〜 Bucureşti どうかなと思っていたら5時45分に起こしにきてくれた。そういうところえらいね。フェリーは7:00発。Sulina滞在13時間と30分。何もできなかった。ぼっとするつもりだったのに……。宿代100000Lei(約450円)と夕食代50000Lei(約230円)。んなもん。そりゃ日本人には安いとは思うけど日本人の満足の域には到底、到底。別に何を期待しているわけではないんやけど。部屋を貸したい住民と部屋を借りたい旅行者。一見見事に利害が一致しているようで、まったく危険な関係。
日はまだ昇っておらず、デッキからドナウに昇る太陽をゆっくりと眺める。ヨーロッパに日が昇る。うっすらと曇っていて日の出がよく分からなかったが、確かに日は昇った。薄い太陽の光がなんとも幻想的。汽笛、船が出る。ドナウの旅人。
ドナウの上の太平の眠りも突然の腹痛で覚まされる。トイレには紙なんぞない。ピンチ、が、僕には知恵がある。しのぐ。名誉の為に、手でなない。理由は分かる。昨日ドナウをちょっと味見した事(しょっぱくはない、当然のことか)。それか、泊まった家で水道水をがんがん飲んだこと(生水がどうなのか分からないけど)。そのどちらか、あるいは複合技。
Crişanから昨日のスペイン人3人組が乗ってくる。Sulinaへは行かないらしい。さんざん「Crişanは良かった」と言う。昨日懸命に泊めてもらった彼から誘いを受けていたのに。まぁ賢明。3人組に思っていたけど、実は女子2人と男子1人は別々で偶然ルーマニアで出会って旅を共にしているらしい。女子2人はオランダのハーグに留学中。男子のほうはルーマニアのTimişoara(89年革命の引き金となったハンガリー人牧師の退去令に対する抗議運動が起こった街)で数学を学んでいるということ。すごく留学生スペイン人が多いような気がするんやけど。彼らに南の方へ一緒に行こうと誘われたが、ごめん、もうそろそろベルギーに近付いて行きたいので。いろいろルーマニアについて教えてもらい、僕の知識(バルトの国々やユーゴなど)を教える。彼らは異様にバルトの国々を恐れていた。危ないと。大丈夫、人が冷たいだけで安全。あと、スペイン人はユーゴに入国するのに招待状が必要ということ。ヨーロッパの大国スペインなのに……。
ブカレスト(Bucureşti)までは電車の旅。揺れる、遅い、汚い。大平原の中の一本道なのに、今までもっともひどい国鉄。コンパートメントでルーマニア夫妻からまた例のルーマニア特産のワインとやらを頂く。いい人たちだが、残念ながらまったく話が通じない。何故この人たちは僕が激しく「ルーマニア語分からない」と訴えているのにずっとルーマニア語で喋りかけてくるんだろう。それに声がでかい……。車内で書いていたポストカードを取り上げて、夫婦で「分からない」と苦笑。そりゃそう。そのとき僕は自分の気持ちを"どん"と"ぱん"と言う2語で表せるかと実験的メールを書いていたから。日本人でも分からないと思う……。
Bucureştiまで5時間あまり。かなりの長旅。思っていたより乗客は少なくうちのコンパートメントにも最初からの夫婦とおっさん1人だけ。彼らはずっと、本当にずっとチャウシェスクの話をしている。興味あるー。なんて言っているんやろ、ずっと。知りたい。それにしても死後10年を経た今もずっと話題にのぼるチャウシェスクって……。
Bucureştiの駅に着いたら、その夫婦の荷物を運んでやる。っているか運ばされた。ていよく赤帽となってしまった。仕方ない車内で例のワインを大量にいただいた上に、さらにはパンなども大量にいただいたんやから、これくらい気持ちよくやらんと罰があたる。Tulceaの彼らの住所を教えてくれ、今度来たら家に泊まっていけといわれた。無論お金払うんやろうけど。すごく品のあるいい人たちだった。
本当は今日中にしないあ(しないあ)に言って宿を探すつもりやったけど(実際Sinaiaまでの切符を買っていて、予定では22:30ごろ着だった)。どうも疲れていたし、眠いし、暗くなってきたし、Bucureştiで一泊することにする。「歩き方」や「Lonely Planet」に駅周りに安宿があると書いてあるし。そこら辺をあたる。すると"超"有名らしい安宿「Bucegi」で部屋が簡単に取れた。一泊300000Lei(約1350円)。部屋は十分、駅にも近い、フロントも感じよい。最高、文句なし。駅周りは暗くなってくると治安が悪くなるらしいが警察がたくさん(彼らが信じられる人であればだけど)いるし、多分大丈夫。ちらっと歩いて食料とビールを買って、早めに寝る。今日は疲れた。駅は真剣に入場料3000Lei(約14円)必要だった。無論切符があれば通れるが。そんなに治安が悪いのか?
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4月11日(水) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Bucureşti 〜 Sulina 〜 Braşov えらいねー、この旅の間中ずっと早起きしていたので、今朝も6時きっかりに目が覚める。って言うか昨日9時過ぎには寝たからか……。朝のカキンとした空気の中Bucureşti歩きを始める。曇っていて少し肌寒い。Bucureştiは濃厚な街。重い重い。驚いたのは「星の王子様ルーマニア語版」が45000Lei(約200円)で買えたこと。思わず聞き直したし、本は安い、が品揃えは多くない。あとはやはり「国民の館」。中には入ってないけど、外観だけでもはるかに想像を超える光景。社会主義、打算が打算を呼び、さらには打算を呼ぶ。
Sinaiaへ向かう。途中面白い街を見た。Bucureştiから1時間のPiteşti。線路を挟み一方には重い重い工場、パイプが走りまくっている。そしてもう一方には広大な道路と画一的な高層アパートが立ち並ぶ。ずっと同じ表情を持つ建物が並ぶ。怖い。けどこれが最も社会主義国家だったころのルーマニアのルーマニアらしい街じゃないかな。郊外に"Interbrew"の工場があった。桁外れの大きさ。
Sinaiaの駅に降り立つと、とたんにプライベートルームの客引きが群がる。この町滞在時間2時間の予定だけど一応値段交渉。おっさんよりおばちゃんのほうが値段が下がる。一泊400えんくらいから。まぁ僕には必要なし。時間ないので超駆け足観光。最終昇りケーブルカーに乗り、最終下りケーブルカーで帰ってくる。ただ途中までしかいけなかった。ゆっくりとする時間はないし、高いし、なんとも不完全燃焼。乗らなきゃよかった。後はシナイア僧院→ペレシュ城→ペリショール城。見るだけというより位置を確認するだけか。まぁ高原のリゾート地やね。軽井沢みたいに。ただ安いけど……。
Braşovへはさらに1時間。ルーマニア国鉄、車内暖かすぎ。ブルガリアが寒かったのとは正反対。そしておばさんはみな編物をしている。トレンドかな?結局ルーマニア1の観光地「ブラン城(ドラキュラ城)」には行けずじまい。帰ってこれなくなるので。本当はかなり見たかったけど、気を取り直してBraşov観光。
Braşovの街は、駅周りは先に見たPiteştiの街と同じように共産ルーマニアの街、同じ顔のアパートが整然と立ち並ぶ。すごいもんだとバスの中から眺めていると、次第に山に近づいて行き、街の様子ががらっと変わってくる。旧市街。広場を中心に趣のある家もちらほら。そして、これは社会主義国家特有のもんなんだろうけど、街の中心に広大な公園。てくてく歩く。帰りに道に迷った。英語もあまり通じず、ちょっとびびる。
ブダペスト(Budapest)への夜行。まぁ今回は席をちゃんと予約してあるのでその点では安心だけど。同室はルーマニア人のムッスィウとマダム。ムッスィウの方は英語の、マダムの方はフランス語の教師をしているという。そしてチェコのブルノでこれまた英語の教師をしている娘さんの所に行くということ。とってもあたたかな人たち。これでもかとフランス語を喋る。あれ、俺すごい喋れるやん!ってくらい。時には英語も交え、バイリンガル、カッコえ〜……。本当にいい人たちで、わざわざ僕のためにコンパートメント半分を空けてくれて、さらにはエアー枕を貸してくれて「よく眠りなさい」と。ありがたい。2人はしきりに「日本はmiracleだ」と言っていた。日本で総理大臣が辞任したことも知っていた。あぁそう、京都で地震があった?
まぁこれだけ彼らの心をがっちり掴んだら悪名高きルーマニア国鉄の車掌(先に会ったスペイン人が「絶対国境で難癖つけられて金をせびられる、絶対」と言っていた)が文句つけてきても大丈夫。なんせ彼らを通して説明できるから。まぁ実際は何もなく極めて気のいい車掌だった。
今日最も衝撃的だったこと。Braşov駅のホームで夜行が来るのを待っているとジプシーの子供が寄ってきて「食べ物ちょうだい」と言ってきた。何もあげないことにしていたので、軽くあしらっていると必死になって自分がとても腹を空かせていることを訴えてくる。目がまじやで。で、それでも「No」と言っていると「煙草くれと言ってきた」。ちょっと興味で煙草を1本あげる。するとなんと彼が吸い始めた。5、6歳くらいの子供やで。信じられんかった。そういう生き方しかできないんかもしれんけど、日本人やヨーロッパ人の感覚からすればかなりずれていることは間違いない。ルーマニア人の感覚からしても多分ずれているはず。5、6歳にしてもう物を貰う時の技は一人前。小さな頃から他人に物をもらうのを当然だと考えているこの根性が気にくわない。末恐ろしい。そういう生き方しかできないんかもしれんけど……。煙草をあげたのでその後ずっとついてくる。別にいいんやけど夜行に乗り込んでコンパートメントまで入って来た時にはちょっと驚いた。先のムッスィウにつめたく追い出されていったけど。しかしこういうときはルーマニア人にしろブルガリア人にしろ必ず「ジプシーだ」と報告してくれる。彼らの中でも異質なものとしてみているのは確か。
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4月12日(木) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Braşov 〜 Budapest 朝4時過ぎにルーマニア国境の駅Arad(確か)。パスポートコントロールは簡単、入るときにあれほど質問されたのに。検察官は気のいいおっさん。なんと和やかな。大半の乗客はここで降りたので、時計を1時間戻して、残り3時間を空いたコンパートメントに移動し再び眠りにつく。さりげなく20分ほど遅れてBudapestに到着。
今日はホッローケー(Hollókö)の街(この町は「Lonely Planet」では紹介されてない。ヨーロッパ人好みじゃないんかな?けど「歩き方」の紹介を見る限りとても趣のある町のように思える)を見て、ドナウベンド(Dunakanyar、ドナウ河が急に進路を帰る地域)のどこか小さな町まで移動し宿探しをする予定。後2、3日ハンガリーにいてそれから帰ろうと。ハンガリーは何やら面白そうな所がたくさんある、宿が割と高いのが難点だが。けど、バスターミナルでチケットを買う際に、おばちゃんの切ない態度にあって急に帰りたくなった。もうどこも観光したくなくなった。本当に帰りたくなった。気付くとものすごく疲れている。思えば旧ユーゴ、ブルガリア、ルーマニアと廻る過程でずっと緊張していた、集中していた。夜行の中で、ましてやホテルの中でさえも。それがBudapestに入って、少し西に近付いて、緊張がちょっと緩んだ(十分にBudapestも危ないとは思うけど)。緊張が解けると今までの強引な日程のつけが姿を現してくる。ぐっと足が重くなり、何もする気がなくなった。旅行はここで終わり。帰ろう。
ドナウの流れを見てほっこりすることに。少しいらいら。何も誰とも話したくない。殻に閉じこもった蝸牛。けど歩いている。こっけいな姿。いらいらいらいら。ハンガリーの国旗がイタリアのそれと同じようでいらいら、地下鉄の1回券が乗り換えしたらもう使えないことにいらいら、けど切符売り場には長蛇の列でいらいら、子供たちがよってきていらいら、腹痛くていらいら。まるでラトヴィアの時のよう・・・・・・。
駅で急遽ケルン(Köln)までの切符を購入。Westeelsで30%引きぐらいで15000円ぐらい。高すぎる!そんなん1万5千円って……。Westeelsで散々迷う。一度プラハに行って前回と同じように帰ろうか。けど結局直通にする。窓口のおばちゃんに散々迷惑をかけた。いろいろな目的地までの料金を尋ねた。逐一丁寧に答えてくれた。感謝。それにしても「西」の電車料金は高い。
王宮のある山へ昇り、そして降り、中華を腹いっぱい食べた。後はドナウにたくす。この中華料理屋さん『雨娜飯店(Lina Kinai Etterem)』は「歩き方」に載っていたんだけど、記事通りよい。量が半端じゃない、そして安い!ごっつい量の卵だけのチャーハン290Ft(約120円)、ごっつい量の鶏肉とマッシュルームの炒め物790Ft(約330円)、これでビール飲んでも安い安い。本気で全部食べれないかと思ったくらい。満足。味は……、まぁまぁ。けど"鶏肉とマッシュルーム〜"って中国人食べるんかな。
「ドナウ河」は青くない。そう言えば「黒海」も黒くなかった。「黒の教会」(Brasovにある)も然り。ということは「赤の広場」は赤くないんやろうね。「黄河」も多分黄色くないと。そして「青の洞窟」なんてのも青くない筈。まして「赤道」なんて赤い線はないんやろうね。そんなもん、世の中。欺瞞で満ち溢れている。うん、「グリーンランド」も緑じゃないだろう……。
いよいよ帰る。とりあえずウィーン(Wien)まで行かないと。Beogradからやってきた電車はオーストリア国鉄とハンガリー国鉄の混合。ハンガリーの方は小汚いコンパートメント車両(例により激暑)、オーストリアのほうは快適な近代的オープンサロンカー(空調完璧、クーラーで涼しい)。これでどう料金なら文句がでるやろーと思いきや、コンパートメントの方が込んでいる。分からない。久々の昼の電車での国境超え。停車中じゃなく走行中にパスポートコントロール。これまた両国対照的。ハンガリーはいちいちくどく見てスタンプ。オーストリアはチラッと見て終わり、中にはノートパソコンを持っている検察官も。おぉ、近代国家!?さらにはオーストリア国鉄の車掌は検札の時にみんなに「ダンケシェン」やからね。ついぞ旧ユーゴ、東欧の国々では聞けなかった言葉。彼らは「俺がおまえらを電車に乗せたっとんねんで。感謝しいや」って心持やからね。
夜行は込み込み、満員御礼。定員一杯のコンパートメントほど辛いものはない。『DONAUWALZER』号、Wien−Bruxelles/Amsterdamを結ぶ。あぁー、"Le Beau Danube Bleu"。誰やったっけ?
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4月13日(金) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6:00にKöln着。寒い。表示は4℃。お〜ぅ、20℃を軽く超えていた日々が懐かしい。LiègeまでThalys、43DM(約2400円)。予想外の出費(何故Liègeまで切符を買わなかったんだろ?不明)。LiègeでGO-PASSがつかえるように1時間寒い中時間を潰し、Monsへ。10:31。ふ〜、旅は終わった。緊張も完璧に解け、だるっとなって。風呂はいろ。
Liègeで貰った新聞"Metro"(なんか通勤者用の無料(?)新聞。いつも朝駅で配っている。ギリシアにもあったし、ハンガリーにもあった。けど詳しくはどんなシステムか分からない)にいろいろと面白い記事。何か日本のことが多いような。『Quatre candidats à présidence du PLD japonais』、『Alliance entre DoCoMo et SAP sur les logiciels d'entreprise』、『Nakata rêve de Manchester』など。
ベルギーは雨が降っています。今日の新聞を買ってびっくり。今日の最低気温-5℃。とっても特別なんやと思うけど、やっぱりこの国寒い。
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4月14日(土) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寒い。あーぁよく寝た。前回はやらなかったたびのおさらい。
結局、出てくると思っていた150DMは行方不明のまま。本気でぱくられたんかな?どこで?
物価がとても安いんだけどやっぱりトータルしてみるとこれくらいの金額にはなるんやね。結構気を使って節約したんやけど。最後の"Budapest - Koln"に14630円をいれるともっと高くなるし。西を鉄道で大移動するにはやっぱりパスを駆使しないことには厳しい。後はホテル。スロヴェニアとルーマニアでの無用な高いホテルに泊まったのを後悔。中途半端に高い金を払っても満足行くホテルライフは送れない。本当にしょうもない施設に対応だった。東っかわ。
ほとんど通り過ぎてきただけなのでなかなか判断するんは難しいけど、最もよかった国といえば間違いなく「マケドニア」。上のほうでちょっともめとるけど下のほうは多分大丈夫。人も素晴らしいし。次にくるのは何とか文句言いながらも「ルーマニア」かな。安いし面白い。そして「ハンガリー」。この国は本当に行きたいところがたくさんある。僕のイメージではこの国は東欧ではない。ちょっとだけ安全で、ちょっとだけ高い。で、次にさりげなく「ユーゴ」。本当に怖かったんやけど他にもいろいろ回りたい。ただホテルとか高いんやろうなと。けど本当は「アルバニア」に一番行きたい。"ヨーロッパ最貧国"、"国としてもはや機能してない"、"狂っている"といわれるアルバニア。ただ怖い……。
う〜ん、本気で「留学記」でなく「旅行記」になってきたね。いいかげん勉強の話が出てこない……。
4月15日(日)
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| 復活祭(Pâques)!とは言っても、僕にはまったくぴんとこない。別に街がクリスマスのように飾られているわけでもないし……。今日も雨が降って寒いし……。"Noël au balcon, Pâques au tison"ってやつですか。クリスマス、ベルギーにいなかったんで寒かったんかどうかわからんけど……。
4月後半(4/16〜4/30)へ
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